『最悪のときに捧げる賛美』
聖書箇所 使徒の働き 16章16〜34 節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
パウロとシラスが神に聞き従っていく中で、最悪の状況に置かれます。つかまえられ、むちで打たれ、牢に入れられ足かせをかけられます。また、「真夜中」とありますが、これはまさに人生最悪と思える時でした。
この女奴隷は占いで金儲けしていたのです。しかし、聖書ははっきりと、「占いは罪」であることを語っています。「当たらない占い」も罪ですが、怖いのは「よく当たる占い」です。よく当たる占いは、背後に悪霊が働いていて、必ず最後は私たちをしばってきます。決して触ってはいけません。イエス・キリストの名によって、絶ち切ってください。私たちを自由にし、導くのは、聖書のことばです。
サタンは、ほんの1%でも、私たちの心の隙に激しくつけこみ、騙し、惑わし、人生を破壊してきます。
この女奴隷は、宣教の働きの邪魔をしてきます。それで困ったパウロは、イエス・キリストの名によって悪霊を追い出します。女奴隷は自由になり、解放されたのですが、その女奴隷を使ってた人たちとしては、救われたことよりも、儲けられなくなったことが問題でした。
残念ながら、世の中は、損得で生きています。このときも、訴えた原因は「金儲けができなくなった」ことでした。しかし、使っていた人たちは、「お金が儲からないから」とは言わず、偽りました。
さらには、群衆もそれに便乗し、長官たちがパウロとシラスの着物をはぎ、何度もむちで打ち、奥の牢に入れ、足かせまでもかけます。
このあと、大地震が起き、獄舎の土台が揺れ動きます。奥の牢に入れられ、むちで打たれ、足かせまでもかけられることを、神さまは許されたのです。ある時が来るまで、奇蹟は起こりません。この場合もなぜここまで許されたのかというと、人々が神に出会うためでした。これが、パウロとシラスの十字架だったと思います。
パウロとシラスは宣教の使命を負った使徒です。神に聞き従ったのに、奥の牢の入れられたのです。そこで、投げ出したりあきらめたりもできたのですが、パウロはそれをせず、祈り、賛美したのです。
幸せなときにするのも賛美ですが、最悪なときにすることで真髄があらわれるのです。
それから、大地震が来ます。パウロたちをしばっていた鎖が解け、根本となる土台から神さまは揺り動かしたのです。ここで、他の囚人たちの鎖も解け、とびらが開いたのです。しかし、逃げなかったのです。賛美には、そういう力があるのです。
看守は目を覚ますと、囚人たちが逃げたと思い、自殺しようとします。しかし、パウロとシラスは「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫びます。看守は、あかりをとって、誰も逃げていないことに驚き、パウロたちの前にひれ伏します。そこまで、ひとことも説教していません。しかし、看守が「救われるために、私たちは何をしなければなりませんか。」と言ってくるのです。そこでパウロたちは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」ここで初めて説教したのです。そして、囚人も看守もその家族も、みな救われたのです。真夜中といえるときに賛美したとき、神のわざは起きたのです。
終末のリバイバルの働きは、私たちの能力ではありません。神の働きが重要です。感謝し、賛美するときに、わざは起こります。
また、神を信じる人に、最悪などありません。最悪こそ、最高への神のわざの始まりです。
(文責 石田 雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2013年6月16日 主日第2礼拝メッセージより