『わたしのところに連れて来なさい』

             聖書箇所 マタイの福音書171418節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・イエス様のもとへ行く

てんかんで苦しんでいる子どもがいました。その子の親は弟子たちのところに子どもを連れていきますが、弟子たちには治すことは出来ませんでした。それで、その子をイエス様のところへと連れてきました。

聖書を見ていますと、イエス様は私たちと同じ人となってくださり。同じように肉体を持ち、泣いたり怒ったり、嘆いたり、喜んだりしておられます。私たちと同じように感情を持たれた故に、私たちの事を本当に理解してくださるお方なのです。

この時も、その子を「わたしのところに連れて来なさい。」と言われ、連れて来させました。そして、その子から悪霊を追い出し、救って下さいました。イエス様は私たちが問題を抱えて御もとに行く時に「そんな小さな事を」などと馬鹿にされたり、「そんな大きなことは無理だ。」とは、決して言われる方ではありません。どんな問題であっても、イエス様のもとにいくならば、解決し、病はいやされるのです。

 

・祝福の基

イエス様は、私たちの為に十字架にかかり死んで三日目によみがえられました。私たちのすべての罪を背負い、贖ってくださった方です。私たち人間は、罪を持っています。法律を犯したことなのない人はいるでしょう。しかし、罪とは神様を信じない心から来る、赦せない心、人生を破壊していく力、他人を破壊する力です。

私たちの敵である悪魔は被造物であり、元々は天使でした。最も美しく頭も良い天使でしたが、そのため、自らが神様の上に立とうとして戦いを挑みました。そして敗北し、堕天使となり悪魔・サタンと呼ばれる存在となりました。彼は嘘をつくのが上手で、私たちにささやきます。私たちの弱い部分につけ込み、否定的な思いを与え、私たちを破壊しようとしてきます。

しかし、神様は私たちをこの悪魔の支配の中に置き、苦しませようとしているのではありません。神様は私たちを「祝福の基」として造られました。職場における祝福の基、学校における祝福の基、家庭における祝福の基であり、私たちが置かれている場所での祝福の基であるのです。

 

・神の恵み

例え、私たちがどうしようもなく苦しんで、弱く、何も出来ないと嘆いていたとしても、イエス様のもとにいくならば、解決するのです。それは受けることに相応しくないものが受けるもの、恵みです。その恵みのゆえに、恐れることも、嘆くことも、怖がることも無いのです。

 

クリスチャンは勝利を保障されています。イエス様のもとに行く時、イエス様は手を伸ばして私たちに奇蹟をなしてくださいます。主はあなたが来るのを待っておられます。

 (文責 山本美津子)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年6月23日 主日第2礼拝メッセージより