『最も弱い者を通して働かれる』

              聖書箇所 ヨハネの福音書439~42節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

今回の箇所は、サマリヤのリバイバルです。ここは、個人伝道の教科書にもされるところです。

サマリヤという町は、ユダヤの中でも、蔑(さげす)まれ、嫌われていた町です。なぜかというと、ユダヤ人は「神に選ばれた者」として純血をすごく大事にするのですが、サマリヤの人は混血し、ユダヤ人の純血がなくなってしまったからです。それで、ユダヤ人はサマリヤを軽蔑し、サマリヤの人とは交流がなくなってしまいました。

イエス様が女の人のために行かれる

ところがイエス様は、そのサマリヤの町に、真昼にわざわざ行かれたのです。39節に、『さて、その町のサマリヤ人のうちの多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。』とあります。その女の人が最初に、イエス様に出会います。普通、女性の仕事として水を汲み(くみ)に行くのは、暑さを避けて夕方が多いのですが、この女の人は人目を避けるために昼に来ます。それは、5人の夫を変え、6人目と同棲していたため、周りから蔑まれ、本人も恥ずかしく思っていたからです。その女の人と出会うために、イエス様は行かれたのです。そして弟子たちには買い物に行かせ、水を汲みに来たときに声をかけます。ユダヤ人がサマリヤ人に声をかけること、男性が女性に声をかけることは、当時はありえなかったことです。

神さまの温かい言葉で作り変えられる

16節には『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。』、17節には『私には夫がないというのは、もっともです。』とも言われています。普通、こういうことばを聞きますと、責められ、裁かれ、蔑まれている感じがするものですが、イエス様は「つらかっただろう」という、温かいニュアンスでした。そしてそのあと、この女の人はイエス様の話に驚きます。その後、人目を避けていたこの女の人は町に戻り、戸を叩いて、「私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」と、みんなに伝えたのです。病気が治るのは奇蹟です。でもそれだけでなく、この女の人は今まで恐れていた人のところに行って、伝えたのです。この人の病気だけでなく内側も、まったく変わったのです。

サマリヤのリバイバル

しかし、普通ならそんな女の人の話は聞かないものです。でも、この女の人は輝いていて、この人が変わったと驚き、「何が起こったのか」と思い、サマリヤ人たちはイエス様のところへ行き、イエス様に二日間そこに滞在してもらいます。そして、さらに多くの人々がイエス様を信じたのです。サマリヤにリバイバルが起こったのです。そして、イエス様は「もう私たちはらあなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」(42節)と言って、本物のクリスチャンになったのです。この女性は町でいちばん蔑まれ、いちばん弱い、みじめな女性だったと思います。その人を、神さまはまず最初に救い出して、この町を救われたのです。神さまは、町をとらえてリバイバルを起こされるときに、弱さに働くのと同時に、最も弱い人のところに行かれて、そこから起こされたのです。これはすごく大事なことです。最も頑なな人や、最も弱い人に、神さまは手を置かれます。今、あきらめそうな人でも、あきらめないでください。これが、主の方法なのです。

弱くても否定しない

私たちの中に弱い部分があります。しかし主は、あなたの置かれた場所のなかでもっとも弱い人を通して働かれます。「弱いからダメだ」とか「弱いから私には価値がない」などと思わないでください。弱さとけんかしないでください。何とかしようと頑張らないでください。弱さと戦うのではなく、認めて、感謝して、神さまに差し出してください。その弱さを通して、神の業と奇蹟を起こされます。ひとりの人においても、その場所においてもです。それが主の十字架の力、復活の力です。

(文責 石田 雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年8月11日 主日第2礼拝メッセージより