『不可能に向かって奇蹟を祈る』

              聖書箇所 マタイの福音書91826節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・イエス様のもとに来たヤイロ

イエス様のもとに、会堂管理者であるヤイロという人がやって来ました。この時、彼の娘は死んでいましたが、イエス様が手を置いてくださいすれば、娘は生き返ると信じていたのです。

主の十字架クリスチャンセンターでは死人のよみがえりを信じていますが、死人が生き返るということは、やはり非常に特別なことです。しかし、ヤイロは諦めることなく、イエス様ならば普通はありえないことや不可能なことであっても、お出来になると信じてやってきました。

 

私たちにも「もう終わりだ」と思えることや、どうしようもない問題が許されることがあります。しかし、そこでイエス様に求めて祈る人は主の手を見るのです。あきらめないで、主に向かって奇蹟を求めて祈る時に、イエス様の手が働いて、その中から問題の解決や勝利が与えられていくのです。

 

・長血の女のいやし

ヤイロから娘のことを聞いたイエス様は、すぐにヤイロの家に向かってくださいました。しかし、その道中で12年もの間、長血を患っていた女性がいました。彼女はイエス様の着物を触りました。イエス様の着物に触れさえすれば、きっといやされると信じていたのです。それまで彼女はその病がいたされるために、財産のすべてを使い果たして医者のところに行き、自分のできる最善と思えることをすべてしていました。しかし、治ることはありませんでした。ところがイエス様ならばいやしてくださると信じて着物に触った瞬間、たちまちいやされてしまったのです。

私たちが信じてイエス様に求めるならば、イエス様はこたえてくださるのです。

 

・試しを通る

マタイの福音書では、この出来事は簡潔に書かれていますが、マルコの福音書をみると弟子も交えて、しばらくやり取りがあったことが分かります。この女性がいやされた事は本当に素晴らしいことですが、イエス様にすぐにでも来て欲しいと思っていたヤイロにとっては、この時間はイライラしたことでしょう。

私たちの人生の中でも、主が何かしてくださると思った時に邪魔が入ったり、遠回りに思えることや、なぜこんな妨害が許されるのだろうと思うようなことが起きることがあります。実はそれこそが試しの時なのです。

 

イエス様はヤイロに言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい。」そして、奇蹟が起こりました。イエス様が少女の手を取って祈られた時、ヤイロの娘は生き返ったのです。

 

私たちの前に解決が不可能と思えるような問題や困難が許されたとしても、それを持ってイエス様のところに行きましょう。私たちには不可能なことはたくさんありますが、イエス様には不可能なことはないのです。

ある時はすぐにこたえられなかったり、妨害が入ることもあります。しかし、その時にあきらめないで、ただ信じて祈ってください。主は必ずこたえてくださって、奇蹟をなしてくださいます。

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年9月8日 主日第2礼拝メッセージより