『悪霊からの解放』
聖書箇所 マルコ9章14〜29節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
てんかんの息子
律法学者と弟子たちが論じあっているところに、イエスさまが来て、「あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか。」(16節)と尋ねられます。すると群衆のひとりが「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、先生のところに連れてきました。』と答えます。『群衆のひとり』は、その息子さんを、イエスさまのところに連れてきました。18節の状況から、息子さんは『てんかん』であったことが分かります。
議論と不信仰
しかし、悪霊を追い出すことは弟子たちにはできませんでした。するとイエス様は、弟子たちに対して『ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。』と嘆かれます。ここで、不信仰であったことが分かります。しかし、なぜ不信仰だったのでしょう。この時、弟子たちは議論をし、祈ることよりも分析をしていました。何か起こったとき、分析をする人が多いようです。分析することは悪くありませんが、神さまのところに来て祈らずに分析ばかりしていると、神さまの手が動くことや、奇蹟を見られないのです。私たちが愛をもってどんなに良くしても、人間には限界があります。しかし、イエスさまのところに来て祈るなら、限界はまったく打ち砕かれます。多くの人が主に祈ることができるという特権を失っています。私たちクリスチャンには祈りというすごい恵があるのです。
悪霊がからむときの対処
そして、父親が息子さんを連れてきます。そうすると、霊が息子をひきつけさせます。神さまのところに来たとき、悪霊がおびえ、暴れだしたのです。これからの礼拝で、叫びだしたり走り出したりする人が出てくる時があるかもしれません。『変な人だ』と言って拒否せず、冷静に対処してください。教会が拒否すると、その人が行き場を失ってしまいます。悪霊が出ていきさえすれば、その人はとてもよい人です。
神さまの時
この息子は、幼い時から長いあいだこのような状態でした。父親は、『この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。』と言います。『おできになるものなら』と言ったのです。するとイエスさまに『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』と言われ、父親はあわてて叫んで『信じます。不信仰な私をお助けください。』と返します。時が長すぎると、『神さまの時』について、私たちは『いつかきっと』となってしまい、『きょう』と思えなくなるものです。神さまの時が来たら、完全にいやされます。この父親にとっては、このときが『神さまの時』だったのです。人々には失望しても、キリストには失望しないでください。キリストは、約束を決して破りません。どんなときでも、イエス・キリストに期待していただきたいのです。
悪霊への対処
このあと、25節ではイエスさまは悪霊に対して、厳しく叱ります。『口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。』そうすると悪霊は、叫び声をあげて出ていきました。息子は解放されたのです。私たちは、悪霊を恐れる必要はありません。聖書には、悪霊から逃げるのではなく立ち向かうようにと書かれているからです。私たちには力はありませんが、イエス・キリストの御名と聖霊がおられるので、たとえ相手がルシファー(サタンのかしら)でも、恐れることはありません。また、29節に『この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。』とイエスさまが言われています。霊がからむことには祈りが重要です。
あなた自身に、あるいは身近な人に、霊的な束縛があるなら、キリストのところに来て祈りましょう。一人で祈るのが苦手なら、教会に来て、ともに祈りましょう。そうすれば、その人に霊的な解放が始まり、いやしが始まり、自由になります。これは、すばらしい恵みです。
(文責 石田 雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2013年9月15日 主日第2礼拝メッセージより