『いつも主にあって喜びなさい』
説教箇所 ピリピ人への手紙4章4節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」ピリピ人への手紙4章4節
神様は今年、私たちの群れにこの御ことばが与えられました。以前から「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」Tテサロニケ5章16〜18節、という御ことばが与えられていましたが、今回の御ことばは、そのことばを土台としています。かねてから、祈ることは語られていて、私たちの教会は祈り続けてきました。そして、感謝ということも、身についてきたと思います。
しかし、この「喜び」というのは、すでに神様がすでになさったというところに立って喜ぶことなのです。何かが起こった時に、感謝することは身についてきました。さらに信仰を用いて一歩踏み込み、喜ぶのです。
喜ぶことは、からし種の信仰です。受けたという信仰を用いるのです。
・主にあって
嬉しいことがあると喜ぶことはできるでしょう。しかし、私たちが生きていると、喜んでいられないことが起こります。むしろ、そのような事の方が多いようにも思えます。「このままいけばどうなるのか?」「このままで大丈夫だろうか?」と、これから先のことや将来のことに関して不安や恐れを感じると、喜べないのです。
しかし、私たちクリスチャンにとっては、どんなに不安や恐れを感じることがあったとしても、神様が共におられるので、決してそれ以上に悪くなることはありません。
クリスチャンであれば、目の前にあるマイナスはそれ以上、決して悪くなりはしません。確かにクリスチャンでもあたかも神様がいないかのように思っている人は、悪くなることはあるでしょう。しかし、私たちが主とともにあるなら、そうはならないのです。だから喜ぶのです。
今最悪の人がいるなら、それ以上最悪にはなりません。聖書で神様は何度もそう約束しています。主に信頼するものは失望せず、すべてのことは益となると書かれているのです。悪くなることはないのです。
そればかりか、その最悪は私たちの人生の最高の祝福のポイントとなります。神様はえこひいきなどありません。神様は私たち全員を愛しておられます。私たちがどのように応答するのかが重要なのです。
・心を決める
この御ことばの最初には「いつも」とあります。ですが、喜べることだけではありません。頭に来る出来事も、落ち込むような出来事があるのです。では、どうすれば喜べるのでしょうか。それは、神様の前に喜ぶことに心を決めるのです。そう決めて心が定まっていると、喜べないことがあったとしても、神様にすがったときに、恵みの中で喜ぶことができるのです。定まっていないと、それが出来ません。
喜べないことが起きるような時もあるでしょう。しかし、感情に振り回されないで、信仰に立って、喜ぶことに心を決めることを選択するのです。そうすると、私たちは喜ぶことができるのです。
今年度、神様はこの御ことばを群れに与えられました。この御ことばに立って、喜ぶ人々は神様の勝利と栄光を見ることになるのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2013年11月10日 主日第2礼拝メッセージ