『神にとって不可能なことは一つもありません』
説教箇所 ルカの福音書1章26〜38節 メッセンジャー 松本俊也牧師
・すりかえられたキリストの誕生日
当時のローマ帝国は巨大な土地と国を支配していました。結果、多宗教となってしまい、納めるのが難しくなったため、「キリスト教」を国教としたのです。しかし、すでに流行していた宗教がありました。ミトラ信仰と農作物の神を称える祭りです。
ミトラ信仰は太陽を神とした宗教で、「征服されない太陽の祭り」という祭りを12月25日に行っていました。太陽・光を神としていたので、「光は神であった。」という聖書のことばに似ることから、「キリストの誕生日」にすり替えられてしまいました。さらに農作物の神も同時期に祭りを行っていました。豊作を祝う祭りでしたが、種が落ち、目を出し、実をつけ、枯れるという様が、キリストの復活を連想させるということで、すりかえれていきました。
このように、クリスマスがキリストの誕生日であるということは間違いであり、それどころか、他の宗教の影響によるものが分かります。ですから、私たちの教会ではクリスマスを祝う事はしません。
多くの間違いがあるクリスマスですが、その中でもひとつだけ重要な真理が広められました。それは、イエス・キリストが私たちの罪のために、処女マリヤの胎の中に身ごもられ、この地上にお生まれになられたことです。
神にとって不可能はない
ヨセフとマリヤという男女がいました。彼らは結婚する前でした。彼らのもとに御使いガブリエルがやって来て、処女マリヤが身ごもることを告げました。これが「受胎告知」と言われるものです。結婚前の女が身ごもることは、信仰においても社会的にも許されない事でした。また、そればかりか、処女が聖霊によって身ごもるという絶対にありえないことが告げられました。しかし、マリヤは聖霊によって身ごもりました。
神にとって不可能なことはひとつもありません。それは、私たちにもそうです。しかし、クリスチャンであっても、処女マリヤが身ごもることは信じられても、私たちの問題を神様が解決してくださることを信じている人は、どれほどいるでしょうか。
実は「神にとって不可能はない。」ということを体験するためのポイントがあるのです。
・御ことばを受け取ったマリヤ
受胎告知を受けたマリヤはこのように答えています。「本当に私は主のはしためです。あなたのことばのとおり、この身になりますように」(38節)マリヤはこの時、神様のことばをそのまま受け取りました。結婚前の女性がみごもれば、どのような目で見られるか、彼女は分かっていたことでしょう。それは、内密にマリヤを去らせようとしたヨセフの行動を見ても明らかです。しかしマリヤは自分が聖霊によって身ごもることを、そのまま受け入れました。御ことばを全面的に信頼して受け取った事がポイントなのです。
この年、神様はこの群れに「いつも主にあって喜びなさい。」と語られました。問題や困難があっても、私たちも身を低くして神様のことばを聞き、信頼し、語られたことばに立って喜びましょう。その時、神様の祝福が現れます。神にとって不可能なことはひとつもありません。
(文責 山本美津子)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2013年12月22日 主日第2礼拝メッセージ