『教会の祈り』       

              聖書箇所   使徒の働き 12117節 メッセンジャー イザヤ木原真

・脱出不可能な牢屋

使徒達が用いられていた時代、当時のユダヤの王ヘロデは、ヤコブを処刑します。すると、それがユダヤ人に気に入られたので、ヘロデはもっと気に入られようと思い、ペテロをも捕えます。ペテロが助かることは不可能と言えました。当時、世界最強の軍隊であるローマ軍に捕まり、牢屋に入れられ、41組の兵士4組という厳重な警備をつけられたのです。同じように脱出不可能な牢屋の中に閉じ込められている人はいませんか。本物の牢屋に入っている人はそう多くないかもしれませんが、引きこもりや、病気など、それぞれが様々な牢屋に閉じ込められている人がいるのではないでしょうか。

 

・神の手を動かす教会の祈り

 ペテロは処刑されようとしていた日の前夜、牢屋の中で寝ていました。すると突然、天の御使いが現れ、彼を起こします。御使いはペテロに服を着させ、靴を履かせます。そして牢屋から脱出します。この時ペテロが繋がれていた鎖は外れ、厳重なはずの警備には見つからず、道を塞いでいた鉄の門はひとりでに開いたのです。ペテロはこのことが現実のことだとは分かりませんでした。あまりの奇蹟に幻だと思っていたのです。彼は町に出て、御使いが彼を離れて初めて、この事が現実の事だと悟りました。そして、教会のみんなが祈っている事が分かったので、すぐに会いに行きます。家に着くとロダという女中が応対に出ました。彼女は嬉しさのあまり、戸を開けもせず、皆にペテロが来たことを伝えます。しかし、祈っていたもの達はこう言いました。「あなたは気が狂っている。」「それは彼の御使いだ。」つまり、それほどまでにペテロが助かることは考えられない事だったのです。そして彼らは、自分達さえ信じられない事に向かって、諦めずに祈っていたのです。この教会の祈りが神の手を動かしました。その時、私達の常識をはるかに超えたことが起きたのです。

 

・例え本人が諦めても

ペテロは殉教を覚悟していました。「ヤコブが殺され、次は自分の番だ。」と腹をくくっていたのです。しかし、教会は諦めていませんでした。ペテロが助かるように心を尽くして祈っていたのです。もし、あなたの周りに牢屋に捕えられている人がいるなら、たとえ本人が諦めても、私達は諦めるべきではありません。私達が教会にきてイエス・キリストの御名によって、父なる神に祈るならば、不可能の壁は打ち壊されるのです。例え、本人さえ諦めていることも、神の手が動いて奇跡が起こるのです。

 

・心を尽くして〜代価を払う〜

 神様は私達の心を求めておられます。自分たちにとって助けが必要な時だけ神様に求めても、憐れみ深い神様はもちろん答えてくださいます。しかし、本当に奇蹟が起こる時、それは、私達が心から神様にすがる時なのです。心を尽くす人は、時間をかけ、お金をかけ、代価を払います。日本という国では「教会に来る」それだけの事でも代価が必要な時がしばしばあります。しかし、教会でともに祈るのです。神様は約束を破ることが決してない方です。不可能に向かって、心を尽くして、共に教会で祈りましょう。その時、あなたも、あなたの愛する者も、神の奇跡を体験します。私達の思いをはるかに超えて、神のみ手が動くのです。

 

(文責 木原 ヨハネ)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2014年2月16日 主日第2礼拝メッセージより