『復活〜神の奇蹟を見るポイント』
聖書箇所 ヨハネの福音書11章38〜45節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・死んで4日後の復活
マルタとマリヤとラザロという3人の兄妹がいました。その中のラザロが病気でしにかけていました。マルタとマリヤは、イエス様のところに遣いを送りましたが、イエス様はすぐに彼らのもとへと行こうとはされませんでした。イエス様はこのように答えられました。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」(4節)ラザロはこの時は、まだ死んでいませんでしたが、イエス様はこのように答えられました。それは、ラザロをいやすことではなく、ラザロが死んだ後、つまり、復活がポイントであったからです。私たちは、この後にラザロが復活すること知っています。しかし、ふつうは死んだ人間が4日後に復活することなどあり得ない出来事です。しかし、それが起こったのです。
私たちは問題や困難に対して、期限を設けると思います。祈る時に、いつまでに問題や困難が解決するようにと願うはずです。ところがその期限を過ぎてしまった場合、「もうお終い」という状況になると私たちは諦めてしまします。しかし、イエス様は死んで4日が経った後からでも、ラザロを復活させられたように、「もうお終い」と思える状況からイエス様は解決することが出来るのです。
・信じている人は行動がともなう
イエス様がラザロのところに来られたのは、彼が死んで4日がたった後でした。イエス様は言われました。「石を取りのけなさい。」(39節)当時のお墓は穴が掘られ、そこに石が立てかけられていました。愛しているラザロが死んで臭くなってしまった姿を見たくはないと、マルタたちははじめ断りましたが、言われたとおりに石を取りのけました。状況を理解してはいませんでしたが、石を取りのけたのです。
イエス様にとって、石を取りのけることも破壊することも容易なことです。しかし、マルタたちに取りのけさせました。それは、そこに信仰がともなうからです。
私たちにイエス様が語られた時「そんなことしてどうなるの?」と思うような時があります。納得できれば従うけど、できなければ従わない。それは信仰ではありません。そのことばに従うかがポイントなのです。当然、本当に神様のことばであるかを吟味しなければいけませんが、信じていると言いながら、そこに行動がないと、奇蹟を見ることが出来ないのです。
・受けたと信じる信仰
石をとりのけた後、ラザロの復活はすぐではありません。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」(41節)事が起こる前にイエス様はまず感謝されました。すでに復活したものとして、先に感謝されたのです。神様に与えられた約束は、まだ目に見えていなくても、信仰を持って受け取るのです。
・信仰を用いてことばを語る
イエス様は叫ばれました「ラザロよ出て来なさい。」(43節)すると、ラザロは墓の中から布で包まれたまま出て来ました。彼を復活させたのは、イエス様のことばです。
神のことばがポイントなのです。重要なのは神のことばを語ることです。実は神のことばを語ることには戦いがあります。職場や家庭で何を語りますか?神のことばを語りましょう。そのことばが、神の栄光と祝福、奇蹟をみるためのポイントなのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年4月6日 主日第2礼拝メッセージ