『十字架を全うするために祈る』

            聖書箇所 マルコの福音書 143242節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

イエス・キリストは、私たちを愛して、私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかってくださいました。

キリストは一度も罪を犯したことがなく、罪とは全く何の関わりもなかったのです。

どうして人は死ぬのでしょうか?

それは、人は罪を犯したからです。

人は罪を持っているからです。罪の結果が死です。

だから、全ての人に死が訪れます。

イエス様は、罪とまったく関係のないお方です。

イエス様は罪がないので、死ぬ必要がありません。しかし、イエス様は、罪の刈り取りである死から、

私たちを救うために十字架にかかってくださいました。

神であるお方が、神に捨てられ、私たちの代わりに黄泉(よみ)にまでもくだられました。

 

なぜイエス様には、それができたのでしょうか?

それは、イエス様が、いつもゲツセマネに行き、父なる神に祈られていたからです。

だから、十字架を全うすることができました。

私たちも、イエス様のように祈る場所をもっていると、人生が変わります。 

イエス様が「1時間」と言っておられるので、あえて1時間祈る人は、神のわざを体験します。

1時間が無理なら、5分から始めてください。

いつも主と交わっていると、あなたにとって十字架と思えることが許されるとき、その計画を受け取ることができます。

 

ゲツセマネで祈り切ったあと、イエス様は十字架のあの苦しみで、誰かを呪ったり、叫んだりしませんでした。

あの苦しみの中でイエス様が最初に言われたことばは「父よ。彼らをお赦しください。」という、赦しのことばでした。

イエス様は十字架の上で、赦され、愛し切られました。

いつも、父なる神に祈られていたイエス様の、十字架にかかるときの姿は、まさに神そのものです。

苦しみの極みの中でも、愛と命に満ちているからです。

 

この終わりの時代、全世界に大収穫がやってきます。

十字架にかかるほど私たちのことを愛された主は、私たちに最善をなしてくださっています。

どんな時もそのことを信じるには祈りが必要です。

祈るときに、神は私たちに、み心の中を生きる力を与え、神の計画のために生きる力を与えてくださいます。

本当にいつも主と交わっていると、主の力が流れ出します。

私たちは弱く、力がなくとも、主と交わるなら、主の力が流れ出します。

祈るときに、わたしたちは神の最善のご計画を受けとり、神の祝福を受けます。

(文責 久保田 望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2014413日 主日第2礼拝メッセージ