『十字架を全うするために祈る』
聖書箇所 マルコの福音書 14章32〜42節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
イエス・キリストは、私たちを愛して、私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかってくださいました。
キリストは一度も罪を犯したことがなく、罪とは全く何の関わりもなかったのです。
どうして人は死ぬのでしょうか?
それは、人は罪を犯したからです。
人は罪を持っているからです。罪の結果が死です。
だから、全ての人に死が訪れます。
イエス様は、罪とまったく関係のないお方です。
イエス様は罪がないので、死ぬ必要がありません。しかし、イエス様は、罪の刈り取りである死から、
私たちを救うために十字架にかかってくださいました。
神であるお方が、神に捨てられ、私たちの代わりに黄泉(よみ)にまでもくだられました。
なぜイエス様には、それができたのでしょうか?
それは、イエス様が、いつもゲツセマネに行き、父なる神に祈られていたからです。
だから、十字架を全うすることができました。
私たちも、イエス様のように祈る場所をもっていると、人生が変わります。
イエス様が「1時間」と言っておられるので、あえて1時間祈る人は、神のわざを体験します。
1時間が無理なら、5分から始めてください。
いつも主と交わっていると、あなたにとって十字架と思えることが許されるとき、その計画を受け取ることができます。
ゲツセマネで祈り切ったあと、イエス様は十字架のあの苦しみで、誰かを呪ったり、叫んだりしませんでした。
あの苦しみの中でイエス様が最初に言われたことばは「父よ。彼らをお赦しください。」という、赦しのことばでした。
イエス様は十字架の上で、赦され、愛し切られました。
いつも、父なる神に祈られていたイエス様の、十字架にかかるときの姿は、まさに神そのものです。
苦しみの極みの中でも、愛と命に満ちているからです。
この終わりの時代、全世界に大収穫がやってきます。
十字架にかかるほど私たちのことを愛された主は、私たちに最善をなしてくださっています。
どんな時もそのことを信じるには祈りが必要です。
祈るときに、神は私たちに、み心の中を生きる力を与え、神の計画のために生きる力を与えてくださいます。
本当にいつも主と交わっていると、主の力が流れ出します。
私たちは弱く、力がなくとも、主と交わるなら、主の力が流れ出します。
祈るときに、わたしたちは神の最善のご計画を受けとり、神の祝福を受けます。
(文責 久保田 望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年4月13日 主日第2礼拝メッセージ