『神さまの大きな計画と愛』
聖書箇所 ヨハネの福音書 11章 1 〜 6節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ラザロの復活の話の前半に目を留めていきたいと思います。
1〜6節は、ラザロが病気になって死にかけていたとき、イエス様のところに使いを送ったら、イエス様がすぐに来ないで、しばらくたってから来られたところです。しかしそれは、実は、最初からラザロの病気を治すことではなく、死んだあと四日たって復活する奇蹟を、父なる神さまからイエス様に、すでに示されていたからなのです。もし私たちが、そのただなかにいたら、大変つらい思いでしょう。しかしその向こうに、神の計画があったのです。
時として、祈ったのに答えられなかったり、信じているとおりにならなかったとき、私たちは疑問に思うでしょう。そのとき、その向こう側に、もっと大きな「神の計画」があるのです。
3節でマリヤとマルタが「愛しておられる方が病気です。」と言ったのは、マリヤにもマルタにも、ラザロも、「愛されている」という確信があったからです。私たちも、間違いなくイエス様に愛されています。神さまの愛がよく分からない方は、祈ってください。
まずあなたは、能力がどうであろうとも、そのままで愛されています。
それに、その上で神さまは、何度失敗しても繰り返し抱きしめ愛し、あきらめず、あなたを立て上げてくださいます。また、失敗がどんなに数多くても、そのままで置かず、さらに引き上げてくださるのです。本物の愛は、あきらめず、期待し、立て上げるのです。ゆえに時々、厳しい訓練や懲らしめがくることもあるのです。
4節では「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と言われました。まだ死んでいないのに、「この病気は死で終わるだけのものではなく」とは、つまり「死を通る」ことを意味していたのです。しかしこれが、ラザロをよみがえらせることまで、普通は分かりません。これを「不信仰」と言うのはかわいそうです。
同じようにあなたにも、信じきっていたのに、信じたとおりにならず、戸惑うことがあります。しかしそういうときは、あなたが考えもできない逆転のドラマやシナリオが、必ず用意されているのです
マリヤとマルタが「愛しておられる方が病気です。」と言うと、すぐにイエス様が来てくれるかと思いきや、6節に「二日とどまられた。」とあります。普通にはこの文脈は理解できませんし、ありえません。しかしイエス様は示されて、あえて二日とどまられたのです。そして、マリヤもマルタも考えられなかった、『死んで四日たったラザロを復活させる』奇蹟を行なわれたのです。
考えもできなかったことを、神さまは用意しておられます。あなたの人生に、あなたの愛する人に、驚くような逆転です。これが、クリスチャンの醍醐味です。ですから、つぶやいたり、文句を言ったり、がっかりしたりしないようにしていきましょう。
十字架にかかられた主は、必ずあなたに最善と最高を用意して、待っておられます。神にえこひいきはありません。この方がいるから感謝し、賛美し、喜んでください。そのときに、神さまの栄光があらわされます。
(文責 石田 雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年 5月 4日 主日第2礼拝メッセージ