『その先にある神様の計画』
聖書箇所 ヨハネの福音書11章1〜6節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
信じていたのにそうならなかった。そんな経験がありませんか。「この問題も神様がきっとこうして解決してくださる」と思っていたのに、そうならなかったことが。
実は、その先に神様は計画を持っておられるのです。私たちの計画を越えた、神様の計画を。
マルタとマリヤとラザロという兄妹がいました。そのうちのラザロが病気になってしましました。マルタたちは、イエス様に遣いを送り言いました。「あなたの愛する者であるラザロが病気です。」(4節)その通り、イエス様は彼らを愛しておられました。それゆえ、マルタたちはイエス様は愛するラザロのことを知れば飛んでやって来てくださると思っていました。
ところが、イエス様は「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(5節)と言って動かれません。それどころか、まだ死んではいないラザロを「死んで」と言われたのです。そして、そのまま2日その場にとどまり、ラザロのもとへは行かれませんでした。イエス様は意図的に、あえてそうされたのです。そしてラザロは死んでしまいました。
私たちはこの後のラザロの復活の奇蹟を知っていますが、もしマルタたちの立場であればイエス様に「なぜ?どうして?」と思わないでしょうか。「愛しておられるなら、すぐに来て助けて」と思わないでしょうか。マルタたちはラザロがいやされることを、本当に願っていたのに、イエス様はそうなさらなかったのです。
私たち自身に対しても「なぜ?どうして?」と思うような出来事を、神様は許されます。私たちも本当に願っていたのに、そのようにはイエス様はなさらないことがあるのです。
信じていたのにそうならなかった。実はその向こう側にもっと大きな神様の計画があるのです。
死んでいないラザロにイエス様は「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(5節)と言われました。マルタとマリヤを「この時言われたことばをなぜ信じなかったのか。」と私たちが責めることはできないでしょう。
誰がラザロが死んだ後に復活するなんて思えたでしょうか。想像さえ出来ません。それほど誰にも考えも出来ないような、想像さえできない計画をイエス様は持っておられたのです。
信じていたのにそうならなかったというとき、私たちはどうすればよいでしょう。それは、そのことを感謝し、喜ぶのです。神様にはもっと大きな計画があるということを信じて、感謝し喜ぶのです。
ラザロを復活させる計画を持っておられた主は、私たちにも必ず計画を用意しておられます。その神様の計画を期待して、感謝し、喜びながら歩んで行きましょう。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2014年5月11日 主日第2礼拝メッセージより