『神の言葉を受けて従う』
聖書箇所 第U歴代誌20章14〜23節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ここは、ヨシャパテというユダの王様が、アラムとモアブから攻め立てられ、絶体絶命の状況から大逆転して、神さまの栄光を見たところです。『神の言葉を受ける』と『従う』の2つに、ポイントを絞っていきます。
・心から求めて主に聞く
14節の「主の霊が集団の中で、アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。」とありますが、これは『預言』が来たことを意味します。神さまは私たちに、言葉を与えてくださいます。
敵軍が攻めてきて、彼らは恐れ、気落ちしてがっかりしていました。でもその時、神さまは「ユダのすべての人々とエルサレムの住民および、ヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。『あなたがたはこのおびただしい大群のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」
(15節)という預言で、励ましを与えられたのです。神さまは私たちに、非常に具体的に、しかも的確に、その人に最適な言葉で、見事なほどに、励ましやなぐさめを与えてくださいます。
しかし、それだけではなく、『あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上ってくる。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』」(16〜17節)というように、神さまはあやふやにせず、非常にはっきり、具体的に語ってくださいます。
また、ともにいてくださり、決して見捨てません。私たちがどのような状態でも、イエス様の愛は、絶対にあきらめませんし、見捨てませんし、何があっても私たちから離れません。神さまにえこひいきはなく、私たちが本当に神に求めると、神さまは答えてくださいます。多くの人は、神さまに求めず、自分で考えようとしますが、主に聞きながら考えないと、間違えます。神さまは私たちを、私たち以上に知っておられるので、具体的に、励ますだけではなく、もっと先のことを見据えたプランで導きと指示を与えてくださいます。
神の言葉を本気で求める人と、軽んじる(かろんじる)人との人生では、全く変わります。神の言葉を持っているということは、何よりも確かな保証です。
・受けた言葉に従う
ただ、聞くだけではなく、従う必要があります。
18〜21節では、ヨシャパテ王は言葉を受けたあとに、神様の言葉を受けて本当に喜んで主を礼拝しました。これは、受けたことばを喜んで、宝のように受け取り、すぐに従ったということです。彼らは主の言葉を信じて応答して、言われた場所に出て行って、その場所で本当に声を上げて主を賛美したのです。そのときに、伏兵が出てきて、敵を打ち砕いて、全滅したのです。
語られた言葉に従う人が、その信仰を通して、神の奇蹟を体験し、愛を体験し、恵みを体験し、助けを体験します。神の手が動くのを見ます。
神さまは最善にしかできない方です。だから感謝するのです。
主の言葉をいただいて、応答して、神さまの祝福を受けていきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年6月15日 主日第2礼拝メッセージ