『強いられた十字架』
聖書箇所 マルコの福音書12章21節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
クレネ人シモンが、強いられた十字架を引き受けたところから、学んで行きたいと思います。
イエス•キリストが十字架を背負って、カルバリの丘に向かって歩いていました。
そこに、クレネ人シモンがやって来ました。
シモンは、過ぎ越しの祭りを見るために、田舎からやってきたのです。
イエス様は前日、39度の鞭(むち)を受け、しかも徹夜だったので、肉体的に限界がきていました。
そのため、イエス様は十字架を落とし、倒れました。
そこにちょうど、シモンがやってきました。ローマ兵がシモンに、十字架を背負うように言いました。
当時、ローマはイスラエルを支配していたので、ローマ兵に歯向かうことは『死』を意味します。
それでシモンは、断ることができず、強いられた十字架を引き受けました。
ローマ兵は、イエス様の十字架を無理やり、シモンに背負わせました。
シモンはこの時、イエス様だとわかっていませんでした。
当時、十字架刑は本来、極悪犯罪人に処せられる刑なので、ひよっとしたら「犯罪人の十字架を背負わされた」と思ったかもしれません。
その後、シモンの目の前を、イエス様が歩きました。
イエス様がカルバリの丘に向かう時、イエス様の弟子たちや、イエス様のことを慕っていた女性たちではなく、シモンが、イエス様の一番近くを歩きました。
シモンはイエス様の背中から、言葉にならない愛、あわれみ、慰めを感じました。
そして、カルバリの丘まで十字架を背負っていきました。
カルバリの丘に着き、十字架にかかるイエス様の姿を見たシモンは、「この方こそ真の救い主だ」とわかり、救われました。
この後シモンは、故郷クレネに帰り、家族に福音を伝えました。福音を聞いた彼の家族は、救われました。
永遠のいのちの祝福だけにとどまらず、シモンの家族は使徒パウロから慕われるほど、特別な存在になりました。
なぜかというと、ローマ人への手紙16章13節で、パウロはシモンの息子ルポスのことを「主にあって選ばれた人」と言っているからです。
また、シモンの妻は、パウロから『自分の母』と慕われるほど『信仰の人』になりました。
この素晴らしい祝福の始まりは、シモンが、強いられた十字架を背負ったことです。
シモンが、強いられた十字架を全うしたので、このような、素晴らしい神様の祝福が現されました。
私たちの人生にも、『強いられた十字架』が許されることがあります。
強いられた十字架をしっかり受け止めて感謝する時に、素晴らしい神様の計画が開かれてきます。
そして、強いられた十字架を担う時、シモンのように、十字架の愛を深く体験することができます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年6月29日 主日第2礼拝メッセージ