『忍耐・懲らしめ・訓練を通して立て上げられる』
聖書箇所 ルカの福音書1章5〜20節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
『バプテスマのヨハネ』は、イエス・キリストが生まれる半年前に生まれ、公生涯に出る前に道備えをした方です。なぜ『バプテスマのヨハネ』かというと、『十二弟子のヨハネ』とは別の人で、『悔い改めのバプテスマ』を授けたからです。このヨハネについて、イエス様は「女から生まれたものの中で、バプテスマのヨハネよりすぐれたものはいない。」と言った方です。
そのヨハネが誕生するにあたっての、ザカリヤ(父)とエリサベツ(母)が、今回の箇所です。
エリサベツは、不妊(子供ができない状態)でした。旧約の時代であった当時、これは「神に呪われていた」とか、「祝福されていない」イメージだったのです。5節でザカリヤは祭司であったことが分かり、6節には「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度(おちど)なく踏み行なっていた。」とあります。非常に忠実だったのです。普通なら、主から祝福されるはずです。なのに、「子供が与えられたい!」と心から願っていた彼らには、長い間、子供ができなかったのです。しかし、ザカリヤもエリサベツも、なぜ待たされたのかというと、「イエス・キリストの道備えをするという、特別な使命を持った『バプテスマのヨハネ』の父と母として、神さまから選ばれ、特別な訓練があった」からです。
私たちも、祈ってもすぐに答えられないことや、本当に神さまに忠実にしているのにうまくいかないことがあります。そういうとき、多くの人は「私が悪いことをしたからだ。」とか、「罰(ばち)が当たった。」という発想をするでしょう。しかし、これは間違いです。忍耐は、うれしいことではありませんが、信仰の訓練の核で、とても重要なことです。ですから、こういう時は自分を責めたりしないでください。神の大きな計画があるのです。
祭司職の習慣でくじを引いたところ、ザカリヤが主の神殿に入って香をたくことになり、その間、外では大ぜいの人々が周りで祈っていました。すると、主の使いがザカリヤの前に現れ、天使の聖(きよ)さゆえに、ザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われます(12節)。それで、御使いはザカリヤに言います。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、強いぶどう酒も飲まずまだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力とで主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(13-17節)と、非常に具体的に言われます。
しかしザカリヤは、そのことばを受け取れなかったのです。それで、19-20節で御使いは、「ちゃんと男の子は与えられる。しかし、ザカリヤには(信じなかった結果として)懲らしめと訓練がくる」ことを言われます。その後、妻エリサベツはみごもり、24節で「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」本当に子供ができたのです。神に心から願っていることは、神は必ずかなえてくださいます。神が約束されたことは、必ず守られます。決して裏切られません。ただ、忍耐が必要だったり、(本当に信じていても)すごく長く待たされて信じられなくなることがあります。
そして、59-64節で、人々は産まれた幼子に「ザカリヤ」と名づけようとし(父の名にちなんで名付けることは、イスラエルではよくあることです)、エリサベツは「ヨハネという名にしなければならない。」と言い、それに対して人々は猛反対し、エリサベツはザカリヤに尋ね、ザカリヤは「彼の名はヨハネ。」と書いて答え、人々は驚きます。その瞬間から、十月十日(とつきとおか)話せなかったザカリヤは、話せるようになり、神をほめたたえたのです。この訓練は楽ではなかったでしょう。しかし、その訓練で整えられ、聞き従う力を立て上げ、賛美に変わったのです。ですから、私たちのうちにゆるされる懲らしめと訓練を、感謝して受け取っていきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年8月17日 主日第2礼拝メッセージ