『悔い改めと恵み』
聖書箇所 ピリピ人への手紙2章6〜7節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
悔い改めというと、日本人には暗いマイナスのイメージが強い傾向があります。
しかし、本当の悔い改めは、神様の喜びをもたらします。
真実な悔い改めは、神様の御手を動かします。悔い改めは祝福です。
悔い改めは「方向転換」を意味します。神様に逆らっている人生から向きを変え、神様を信じ、神様の光の中を歩むことです。
悔い改めには、2つのタイプがあります。1つ目は「罪を認めない」ことです。
自分が悪いことを認めず悔い改めないことや、周りのせいにして悔い改めないことです。
罪を認めないで失敗したのが、サウロです。サウロはすべてのものを聖絶するように神様から言われましたが、牛と羊の最も良いものを惜しみ、王は生け捕りにし、聖絶しませんでした。
サムエルに罪を指摘されても、サウロは罪を認めませんでした。
しかもサウロは、面目を立てるために悔い改めようとしましたが、これは真実な悔い改めではありませんでした。
もしもこの時サウロが悔い改めていたら、神様の赦しはかぎりなく大きいので、サウロを赦され、再び彼を立てられたことでしょう。
おそらく、サウロの子孫からイエス•キリストが誕生したでしょう。
2つ目は、「悔い改めても、自分を責めて悔い続ける」ことです。
ダビデは姦淫と殺人の罪を犯しましたが、真実に悔い改めたので、赦されました。
どうして、ダビデが真実に悔い改めたかわかるかというと、姦淫によってバテシェバとの間に生まれた息子が病気になった時、ダビデは息子のために断食してとりなしますが、結局亡くなりました。
その時、ダビデは神様がなさったことに一言も文句を言わず、神様を賛美しました。
これが「真実な悔い改め」です。
だから、同じバテシェバから、イエス•キリストの先祖となるソロモンが生まれました。
神様は赦しの神ですが、心を見ておられます。
真実な悔い改めを受け入れられます。
ある方は、真実に悔い改めても、いつまでも赦しを受け入れません。
もう、自分を責めることから解放されてください。
十字架で、もう完全に赦されているからです。
イエス•キリストの十字架の赦しがあるので、自分の罪を認め悔い改めて赦しを受け取ると、どんなマイナスも逆転し、祝福に変えられます。
最後に、とりなしのお祈りをする時に大事なことを、補足で説明したいと思います。
旧約時代に、イスラエルのための悔い改めのとりなしの祈りで、答えられている箇所が、いくつもあります。
その祈りの特徴は、三人称ではなく、一人称でとりなしています。
子どもや伴侶のために祈るとき、一人称で祈る時、その祈りは届きます。
誰かのために祈るとき、それを「他人の罪」ではなく「自分の罪」として、」主の前に出て行き、祈りましょう。その祈りは応えられます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年9月 7日 主日第2礼拝メッセージ