『信仰をもって差し出す』
聖書箇所 ヨハネの福音書6章1〜14節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
これは、五千人の給食のところです。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書は、それぞれ違った視点で書かれていますが、4つの福音書すべてに書かれているのは、ろばの子に乗ってのエルサレム入場、十字架と復活、そして五千人の給食です。4つすべてに書かれていることは、非常に意味のある、弟子たちにとって忘れられない出来事であり、さらに神さまの特別なメッセージがその中にあるのです。
・神さまのところに差し出す
1節の、ガリラヤの湖、テベリヤの湖、キネレトの海、これらはすべてガリラヤ湖のことです。イエス様が病人たちになさったわざを見た、大ぜいの人の群れが、イエス様につき従います(2節)。いやしや奇蹟は、人を呼び集めます。
その群衆が来るのを見て、イエス様がピリポに「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」(5節)と言われました。イエス様は群衆を満腹にさせたかったのですが、弟子たちにはそれができません。そこでピリポは、思わず「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」と言いました(7節)。そして、何もしませんでした。私たちも、ついこのように、「無理です・ありません・足りません」と言ってしまうものです。確かに、人間的には不可能です。
そこに、アンデレが「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」とは言いましたが、少年の持っていたものを差し出したのです(9節)。そして、アンデレには奇蹟が起きます。
イエス様のところに持ってきたかどうかが、ピリポとアンデレの決定的な違いです。聖書から語られて(あるいは、促されて)、踏み出す人と、そうでない人で、差が出るのです。「こんなものが」と思っても、今あるものを主のところに差し出すなら、主が奇蹟をなさいます。
アンデレが差し出すと、イエス様は「人々をすわらせなさい。」と言われます。「横になりなさい。」「食事の準備をしなさい。」ということです。五つのパンと二匹の魚がまったく増えてないときに、奇蹟を見据えてそう言われたのです。もう、配る準備に入ったのです。何も起こりえない時に、ことばを信じて、踏み出せるのが信仰です。
・今あるものをささげる
そして、イエス様はパンを取り、感謝をささげてから、群衆に分けてやられます。小さい魚も、群衆に欲しいだけ分けられます(11節)。そして、群衆は満腹します。多くの場合、ないものを数え、求める傾向があります。しかしイエス様は、今あるものを感謝して、奇蹟を期待したのです。ささげものをするとき、今あるものを心から喜んで、奇蹟を期待してささげることを意識してください。
・与えること
そして、イエス様は弟子たちに「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」と言われ、すると十二のかごがいっぱいになります。弟子たちはまず配らされました。しかし、最後に弟子たちの分が、少なくとも一日分、もしかすれば一週間分、残ったのです。人々に与えると、神さまが祝福されます。考えられないほどに増やしてくださいます。
ありえないことを、神さまはなさいます。今日もここにおられ、私たちの前に立っておられます。神さまは私たちを愛しておられます。今日も変わらない、その神さまがおっしゃるなら、今あるものを差し出して、喜んで主に期待して、感謝しましょう。主のわざが始まります。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年9月21日 主日第2礼拝メッセージ