『十字架を負う歩み』
聖書箇所 マルコの福音書8章34節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私に従いて来なさい。」
この御言葉は、1988年最初の長崎教会の会堂の玄関に貼っていた御言葉です。これは、長崎教会の核となる御言葉です。また、西坂の丘のレリーフにも書かれている御言葉です。
・十字架を負う祝福
この聖書箇所を読むと、「自分を捨て、自分の十字架を負う人生は大変そう、損をしそう。」と、否定的に捉え
る方が多いと思いますが、実は自分を捨て、自分の十字架を負うことは、イエス様を信じているクリスチャンに
とって最高の人生で、これ以上の事はありません。
クリスチャンとして、神様を体験し、一番輝く人生です。
だれでもわたしについて来たいと思うなら
神様はどんな人でも招いておられます。
しかし、私達の中には、「イエス様について行きたい」と思う人と「イエス様は大好きで、病気も治して欲しいし、仕事・家庭・家族も守って欲しい。でも、それ以外は…」と、良いとこ取りを願う人もいます。
本音でついて行きたいと思っているのか、そこそこに、ついて行こうと思っているのか、自分の心を今一度チェックしてみましょう。
・ついてくるなら
イエス様は、無理やり引っ張るのではなく、私たちに選択の道を与えておられます。
最後の選択を、相手ではなく、あなた自身に委ねておられるのです。
私たちをひとりの大人として、人格者として見てくださっているのです。
イエス・キリストは、あなたに最善を、最高の人生を与えて下さる方です。
日本で初めての殉教者である二十六聖人に、悲壮感はありませんでした。
彼らは、「イエス・キリストが一緒にいると、どんなに素晴らしいか」を知っていたのです。
自分が一番だと思っている事は、必ずしも一番ではない事があります。
あなたの事を一番知っているのは、イエス・キリストです。
あなたの良い物も、悪い物も、借金も病気も捧げ、全て神様に委ね、主の道を選び歩む人生、神様から来たものを受け取って歩む人生を、自分で選び歩む時、神の祝福を受けるんです。
いよいよ本格的な歩みに入ります。
原点にもう一度かえり、それぞれの使命と召しに立って、主が言われる十字架を背負っていきましょう。
(文責 山本美津子)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2014年10月26日 主日第2礼拝メッセージ