『十字架を負う歩み』

                  聖書箇所 マルコの福音書834節  メッセンジャー イザヤ木原真牧師


「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私に従いて来なさい。」
この御言葉は、1988年最初の長崎教会の会堂の玄関に貼っていた御言葉です。これは、長崎教会の核となる御言葉です。また、西坂の丘のレリーフにも書かれている御言葉です。

・十字架を負う祝福
この聖書箇所を読むと、「自分を捨て、自分の十字架を負う人生は大変そう、損をしそう。」と、否定的に捉え

る方が多いと思いますが、実は自分を捨て、自分の十字架を負うことは、イエス様を信じているクリスチャンに

とって最高の人生で、これ以上の事はありません。

クリスチャンとして、神様を体験し、一番輝く人生です。

だれでもわたしについて来たいと思うなら
 神様はどんな人でも招いておられます。
 しかし、私達の中には、「イエス様について行きたい」と思う人と「イエス様は大好きで、病気も治して欲しいし、仕事・家庭・家族も守って欲しい。でも、それ以外は」と、良いとこ取りを願う人もいます。
 本音でついて行きたいと思っているのか、そこそこに、ついて行こうと思っているのか、自分の心を今一度チェックしてみましょう。

・ついてくるなら

イエス様は、無理やり引っ張るのではなく、私たちに選択の道を与えておられます。
最後の選択を、相手ではなく、あなた自身に委ねておられるのです。

私たちをひとりの大人として、人格者として見てくださっているのです。

イエス・キリストは、あなたに最善を、最高の人生を与えて下さる方です。
日本で初めての殉教者である二十六聖人に、悲壮感はありませんでした。
彼らは、「イエス・キリストが一緒にいると、どんなに素晴らしいか」を知っていたのです。

自分が一番だと思っている事は、必ずしも一番ではない事があります。

あなたの事を一番知っているのは、イエス・キリストです。
あなたの良い物も、悪い物も、借金も病気も捧げ、全て神様に委ね、主の道を選び歩む人生、神様から来たものを受け取って歩む人生を、自分で選び歩む時、神の祝福を受けるんです。

いよいよ本格的な歩みに入ります。
原点にもう一度かえり、それぞれの使命と召しに立って、主が言われる十字架を背負っていきましょう。

(文責 山本美津子)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

20141026日 主日第2礼拝メッセージ