『主を愛する』
聖書箇所 ヨハネの福音書12章 1〜 8節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ラザロの姉マリヤは、非常に高価なナルドの香油で、イエス様の足をぬぐいました。
このナルドの香油はマリヤの人生そのものでした。
当時の独身女性たちは、仕事などで貯めたお金で、非常に高価なナルドの香油を買い、そのナルドの香油を貯めて、結婚するときにそれを持っていくか、お金に変えてもって行くという習慣がありました。
マリヤは、自分の持てる全てをイエス様にささげたのです。
1デナリは、当時の労働者の日給です。日本円にすると、日給1日1万としたら、300デナリは300万になります。ざっと約1年間分の年収と思ってください。それほどの収入の価値のあるものです。
しかも、1年で1年分の年収は貯められないので、それは彼女の今までの人生そのものでした。
彼女の人生そのものの香油をささげました。
そして彼女は本当に主を愛していたので最高のものをささげたいと思いました。
人間的に考えるともったいないと思えます。ユダは「香油を売ってどうして貧しい人に施こさなかったのか。」と、マリヤを責めました。
当時、ユダヤ教にとって、貧しい人に施すことは単なる善意ではなく、貧しい人に施すことは神に仕えること・神への奉仕の一つでした。だから、貧しい人に施すことはとても重要なことでした。
ここでイスカリオテ・ユダが言ったことは、ある意味で正論で、ユダはもっともなことを言っています。
しかし実は、彼は貧しい人を気にかけていたのではありません。イエス様から預かっていた金入れからいつも盗んでいたため、マリヤが香油でぬぐった時、思わず「もったいない。」と言ってしまったのです。
一方、イエス様は、「貧しい人とはいつも一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。」ことや、まもなく十字架にかかること、ゆえに私とはいつも一緒にいるわけではないことを言われました。
マリヤは、イエス様が十字架にかかることを知りませんでした。
マリヤは、本当にイエス様を愛していて、本当に最高のものをイエスにささげたいと思い、香油を持っていきました。単純にイエス様を愛してしたことが、人類の救いに関わる十字架の前の聖別になりました。
だから 他の福音書では福音が語られるところでは世界中で語られるといったのです。
なぜそうなったかというと、マリヤは本当に主を愛していました。愛する人は損得で動きません。
愛は計算で動きませんし、損得を超えます。
この年、恐るべき主のわざが現される年になります。主に聞き従う人は、恐るべき祝福を受けます。
ただ、「祝福を受けるから主に従おう」というのではなく、「イエス様を愛しているがゆえに主に従う」という原点に帰ってください。本当に主を愛する心から、時間や心、経済や能力を喜んで主にささげる時、そこから主は奇蹟を起こしてくださいます。
携挙の前3年半には、すごいリバイバルか起こりますが、同時にすごい迫害や困難もやってきます。
その中で聞き従っていくには、土台に、主を愛することが重要です
このマリヤのように、喜んで主を愛して従ってください。そのとき、祝福を受けます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年 1月 4日 主日第2礼拝メッセージ