『ことばを受けて踏み出す』
聖書箇所 マタイの福音書14章22〜28節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
五千人の給食のあと、イエス様は弟子たちを強いて船に乗せ、イエス様より先に向こう岸へ行かせ、満腹になった群衆を帰されます。深夜3時に湖の上を歩かれますから、それまでおひとりであったことが分かります。
なぜなら、山に登って祈り、父なる神さまと交わっていたかったからです。すごく大切なことや大きなことなど働きのあとに、ひとりで神さまとゆっくり交わる時間を持つ必要があります。そうしないと、神さまの大きなわざや働きを見ながらも、自分自身が崩れたり渇いたりしていきます。
主がおっしゃったとおりに、向こう岸へ向かっているところで、向かい風が吹き、波に悩まされます。ペテロたちはガリラヤ湖のプロの漁師ですから、その怖さを知っていたと思います。主に遣わされている学校や職場などで、スムーズにいくこともありますが、向かい風に悩まされることもあると思います。人間的には怖いでしょう。しかしそれは、この向かい風の中で、神さまの愛や恵をもっと深く知り、身をもって体験するためです。それまでの自分の信仰をはるかに超える、神さまの素晴らしさや愛を体験できます。感情に翻弄されず、感謝してください。
夜中3時頃、イエス様は湖の上を歩き、弟子たちのところへ行かれます。
ところが、当時のガリラヤでは、幽霊は湖上に出てくると思われていたので、弟子たちは幽霊と勘違いして、怖さのあまりに叫び声をあげました。先入観があったばかりに、イエス様を感じ取ることができなかったのです。臨在が実際にあっても、他のことに気を取られていると、臨在を感じ取れず、臨在の中に入っていけないことがあるのです。
そこで、イエス様が弟子たちに「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われ、そのことばを聞いた瞬間、弟子たちはイエス様であることに気づき、臨在の中に入ることができたのです。そして、ペテロだけは「湖の上を歩かせて下さい。」と求められます。教会に、キリストは満ちておられ、賛美の中に住まわれていますから、そのことばに立って賛美する人は、その中に入っていけるのです。ことばを受けることが重要です。
そして、ペテロは求め、「来なさい。」とことばを受けて、湖の上を歩きます。ことばを求めて受けることが重要です。どのようなことであっても、むやみやたらにするのではなく、神のことばがあるなら、水の上を歩くような奇蹟が起こります。神さまは、語ったことを必ずなさいますから、神さまの言葉を受けることがカギです。
またここで、ペテロは舟から出ています。漁師にとって、舟は命で、舟を出ることは死を意味します。
つまりペテロは、命がけで、ことばに従って舟を出たのです。無謀なことをするのが信仰ではありません。計算することは罪ではありませんが、計算で生きる人は信仰に立てません。無理・無駄だと分かっても、神さまのことばがあるとき踏み出すのが信仰です。
そのあとペテロは、沈みかけますが、そこで「助けてください」と叫びます。人生では、信じていても沈んだり不信仰になったり、失敗したりすることもあります。そのとき恥じたりや遠慮したりせず、すぐ神さまに叫んでください。必ず助けて下さいます。ペテロは嵐・風の中で奇跡の中を通り、失敗し、助けられ、イエス様と並んで舟に乗ったあとに、風がやんだのです。他の弟子たちは一部始終を見て感動していましたが、ペテロは自身で神の愛と奇蹟を体験したのです。そして、向かい風を経験した彼らは、水の上でも歩かせて下さるイエス様の大きさを知ったのです。
神さまはえこひいきなく、同じように、求めるならあなたにもことばを与え、水の上を歩かせ、失敗しても助けて下さいます。今あっている試練が、あなたにとって、もっと深く神の愛と力と、全能を知る機会となりますように。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年 1月 18日 主日第2礼拝メッセージ