『天の確信と福音宣教』
聖書箇所 ヨハネの福音書17章1節・コリント人への手紙第一13章13節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
日本二十六聖人は、喜んで殉教していきました。なぜなら、彼らはイエス様を信じていて、天国を確信していたのです。
捕まってから殉教するまでの、彼らの歩みには、特徴があります。
自分に関して全く悲しんでいません。死に関して恐れを抱いていません。
それで、目の前にいるイエス様のことをまだ知らない魂たちのことを思うと、放っておくことができませんでした。
自分が殺されることよりも、救われていない魂のことが大事で、願っていました。
12歳のルドビゴ茨木少年は、寺沢半三郎からの「養子になるように」との申し出さえも断り、福音宣教をしました。
アントニオ、トマス小崎も含めたこの3人の少年は、自分のことから完全に解放されていました。
パウロ三木もそうです。十字架の上で、自分を殺そうとしている役人を赦し、彼らの救いを願いました。
二十六聖人のリーダーのペテロバプチスタは、自分の家族、祖国のことではなく、日本のまだ救われていない魂のことを思って、涙を流しました。彼らは、永遠のいのちの祝福が何よりも素晴らしいことを知っていました。
たとえどんなに権力、財産、立場があっても、何も天国にもっていくことはできません。
救われていなければ、永遠の滅びです。福音を知っているかどうかは決定的です。
この永遠のいのちの祝福を、私たちはすでに受けています。
確かにこの地上を生きている限り、経済や人間関係、病などいろいろな問題があります。
でも、私たちの目を永遠に向けて歩むとき、その問題は問題でなくなり、神さまがその問題を解決してくださいます。
たとえ、どんな困難の中にあっても喜びに満たされていき、この地上のことから解放されます。
そして、救われていない魂に目が向き、救いを求める思いや祈りが生まれ、聖霊が福音を語る力を与え助けてくださいます。二十六聖人が特別だったわけではありません。彼らは死を受け入れて天国を知った時に、自由になりました。
そして内側から、まだ救われていない魂への想いが溢れてきたのです。
イエスさまを信じなければ、私たちは天国に行けませんし、キリストの十字架以外に救いはありません。
福音を伝えておくと、そのときは理解されなくても、伝えておけば悔い改めて救われることがあります。
イエス様が十字架にかかる時、両側にいた極悪犯罪の一人が悔い改めた時、その瞬間に赦され、救われました。
殉教者の血は、リバイバルの種と言われてます。これは、歴史が証明しています。20世紀にリバイバルが起こったのは、アフリカと中国です。アフリカはかつて、宣教師の墓場と言われ、たくさんの宣教師が死んでいきました。ところが、100万人の集会や、たくさんの大きな教会が生み出されるなど、爆発的なリバイバルが起こりました。中国も、宣教師を追放し、キリスト教を迫害しましたが、爆発的なリバイバが起こりました。韓国も、元々は儒教の国で、たくさんの殉教者が出ました。
その歴史をたどると、殉教者の地の上にリバイバルが起こっていることがます。
実は、日本も30万から100万人のクリスチャンが殉教しています。まだリバイバルは起きていません。
しかし、時が満ちています。明らかに携挙の前の3年半のリバイバルに向かって、大きく時が動いているからです。
私たちは、恵みの時代に生かされています。これから、殉教者の血の報いと、涙を流し戦ってくださった先輩たちの刈り取りの時代に入るからです。私たちが特別だからではなく、殉教者たちの血の答えがあらわされ、大いなる救いをが起こる、この時代に生かされているからです。永遠に目をむけ、まだ救われていない魂に目を向けて、福音宣教をなしていきましょう。すでに収穫の時が満ちています。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年 2月
1日 主日第2礼拝メッセージ