『信仰が試される時』
説教箇所 ヤコブの手紙 1章1〜4節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」(2〜3節)
・この上もない喜び
ここに様々な試練とあるように、私たちの人生の中には、いくつもの問題が1つどころか同時に生じることが、時として許される場合があります。
1つの問題でも嬉しくないし、むしろ「嫌だなぁ。」と思ってしまうでしょうし、それが普通のことのように思います。
それにも関らず、聖書は様々な試練を「この上もない喜びと思いなさい」と言っています。
この上もないというのは、最高の喜び、最高の祝福だと思いなさいと言う事です。
ここで間違いやすいのは、試練や問題を喜ぶことによって乗り越えて行けるから喜ぶという考え方です。
試練や問題を喜ぶという事は、その試練や問題の先に「必ず神様の祝福と勝利が用意されているから、信仰をもって喜んで対応するように」という事です。
いわば、試練や問題は神様の祝福の前ぶれなのです。
祝福からスタートすることも嬉しいことですが、それ以上に、試練や問題などのマイナスからスタートしたことが神様によって祝福に変えられることは、何よりも嬉しいことでしょう。
試練が許された時に、そのことを感謝して喜ぶことが、信仰の対応なのです。
・感情ではなく信仰
ここには、「信仰がためされると」と書かれています。
しかし、信仰がためされる前に、多くの場合に感情が試されます。
感情が右に左に揺れ動き、感情が試されただけで、信仰まで試されてはいないのです。
それでは信仰に立つというところまでに至っていませんから、神様の祝福を受けることが出来ないのです。
感情は誰にでもあります。誰もが感情は揺れ動くでしょう。
しかし、そこに立っていてはなりません。私たちは信仰に立って歩み、忍耐を働かせるのです。
神様の約束は必ず成就します。
しかし、多くの場合その成就の前には信仰の試しが許されます。その時に感情に立って神様の約束を投げ出してはなりません。
もしも、いま激しく揺さぶられているとしたら、まさにそれは約束の成就の前ぶれです。
感情ではなく、信仰に堅く立って、その揺るがしを忍耐を完全に働かせ、神様の約束の成就の時を待ち望むのです。
信仰が試されたその先に、この上もない喜びを神様が与えてくださるのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年2月8日 主日第2礼拝メッセージ