『信仰の歩みの原点』

                  聖書箇所 創世記1214節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(12章1〜4節)

 

・神様は語られる

 ここに「主はアブラムに仰せられた。」とあります。このように神様は私たちに語ってくださいます。稀ではありますが、アブラムのように、肉声で神様が語ってくださることもありますが、神様からの語りかけを聞く最も基本的な方法があります。

1つは、特別に語られなくても、いつでも、どこでも、だれでも適応できることばです。「主に信頼する者は失望させられることはない。」「主を恐れる者は乏しいことがない。」「すべての事について感謝しなさい。」というようなことばです。それらは私たちにいつでも適応できます。

また、特別に語られることばがあります。例えば直面している問題、進路など人生の決断が必要な時には、特別に語られることを求めるのです。信仰とは、神様のことばをいただいて、そのことばに従って歩むことです。それゆえ私たちが信仰の歩みをするためには、まず神様のことばを聞く必要があるのです。

しかし、神様の語りかけが分からない人もいます。神様は語ってくださるのですが、その語りかけを聞くためには、神様が語ってくださることを信じることが必要だからです。当然のように感じる人もいるでしょう。しかし、「神様の語りかけを聞けるのは特別な人」「信仰が絶好調の人」と、自分に神様が語られることを信じない結果、語られていながら、その語りかけに気がつかないのです。

また、本当に神様のことばに従いたいと思っていない人も神の声は聞こえません。神の計画の中に生きたいと思っている人、つまり神様の語りかけに耳を傾ける人は神のことばを聞くのです。

 

・祝福されている中で神の言葉に従って出て行く

神様の語りかけに従う事が難しく思えることがあります。例えば土壇場まで追い込まれていたとしたら、幾分か神の語りかけに従いやすいでしょう。しかし、すでに祝福があるのに、その祝福を捨て置いて神に従うことは、容易ではありません。まさにアブラムはそんな状況です。彼はこの時にはすでに祝福されていたからです。

彼には美しい妻や多くの家族がいて、財産があり、奴隷もいました。つまり彼にとって、その場所に留まり続けることは、自分の将来を十分に計算できることで、人間的に言うならば、そこから出て行くことは大きなチャレンジだったのです。しかしアブラムは、神のことばに従いました。それもすぐに従ったのです。

私たちに語りかけを受けたとき、私たちは十分に吟味して、その語りかけが確かに神様のものであることが確認できたならば、すぐに従うべきです。遅らせると従いにくくなるからです。

神様は私たちに語ってくださり、そのことばに従う時、私たちは神の祝福を見ます。その上で私たちは、ある祝福を受けるとそれを握り続けようとします。しかし、さらにそこから出て行くように神が語られたならば、そのことばに従い出て行くのです。その時、私たちは驚くほどの神の祝福を見ます。神様に従う道は祝福の道です。

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2015年3月8日 主日第2礼拝メッセージより