『十字架の赦しの愛』
聖書箇所 ルカの福音書23章38-43節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・沈黙の奇跡
十字架にかかられたイエスは、多くの暴言を浴びさられました。前の晩を徹夜で過ごされ、三十九の鞭をうけながらも、暴言を吐く人々に一言も言い返しませんでした。
十字架刑には、イエスと共に二人の極悪犯罪人が、右と左にかけられていて、始めはその二人も同じように、「お前はキリストではないかわたしと自分を救え!」などと暴言を吐いていました。
その言葉にイエスは沈黙を守り、何も言い返さず「父よ、彼らを赦してください。彼らが何をしているのかわからないのです。」と祈り続けていました。
どんな悪口雑言にも、一言も言い返さず祈られたイエスの姿こそ、人にはできない奇跡です。
・変えられた男
イエスのその姿を見て、片方の男に変化が起こり、暴言を吐くもう一人に向かってこう言いました。
「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」彼はイエスの姿を見て、真実の愛に出会ったのです。
自分自身の罪を認め、イエスが神の子だと信じたのです。これは悔い改めと信仰です。
人は、真実の愛に出会うとき、罪を認めることができるのです。彼はこう続けて言いました。
「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
自分の罪の重さを知り、「わたしも連れてってください」と言えなかったのです。
しかし、イエスは彼に「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言ったのです。「きょう」は、「今」と訳すことができます。
私たちは、死んだら間違いなく天国へ行けますが、それとともに今、天国にいるのです。
・捨てられたイエス
それまで、父なる神を常にアバ(父さん)と呼んでいたイエスは、こう叫びます。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
呼び方は関係をあらわしますが、父と言わず、神と言いました。神とは、異邦人が呼ぶ名でした。
イエスは、まさに私たちの身代わりになって、父なる神に捨てられたのです。
さらに聖書にこう書かれています。「太陽が光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。」
まさに地上にもその現象が起こりました。神殿の幕は、大祭司が年に一度だけ神の臨在されるところに入ることができたところです。その「幕が裂けた」は、「どこにいてもどんなひとでも、イエスを信じる者は誰でも、神の臨在の中に入ることができる」という意味です。
イエスが捨てられた時、わたしたちの贖いが完成し、ご自分の使命を全うされました。
十字架の恵みはここにあるのです。
私たちももう一度、十字架から流れてくるイエスの真実の愛に目を向けながら、聖霊によって復活させてくださる神に期待して使命に生きていきましょう。
(文責 木原エルサレム)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年 3月22日 主日第2礼拝メッセージ