『イエス様のもとに行く。すぐに答えられることを期待する。』
聖書箇所 マルコの福音書1章40〜44節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
1章40節で、ツァラアト(第2版では「らい病」)の人が出てきます。
当時、ツァラアトは汚れた病で、社会や家族から隔離され、「らいの谷」に行かなければならず、触れてもいけないとされ、宗教的にも汚れた・呪われたものとされていました。
それで、社会にも家族にも復帰できるという意味で「きよめていただけます」と言ったのです。
・イエス様のもとに行く
ツァラアトの人が、らいの谷を抜け出て、イエス様のもとに行きます。
当時は「ツァラアトです!」と叫びながら行かなければなりませんでしたし、そうすると、
「触れると汚れる」とあるので周りの人たちから避けられます。
勇気があり、本当にイエス様に会いたかったとともに、信仰と切なる願いがあったのです。
このように、イエス様のみもとに行く、キリストに会いに来るということがポイントです。
キリストの満ちている教会に、来て、触れていただき、言葉にならない願いを聞いていただいてください。
イエス様は絶対に裏切ることなく、必ずその方に語ってくださり、触れてくださいます。
・あわれみ、そのままで愛される
41節に「イエスは深くあわれみ」とあります。あわれみは、見下げてのことではありません。
本当にこの人のことを痛く思われ、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われました。
そしてイエス様は、本来なら触ってはいけないはずの、彼のツァラアトに触ります。
いやされてからではなく、ツァラアトのままです。
様々なハンデ(病や障害)があっても、そのままで神に愛される、価値のある尊い存在です。
しかしイエス様は、その人が願うとおり、いやし、きよめたいと願ってくださるのです。
その人をそのまま愛し、受け入れ、しかしその人の痛みを知られて、いやされたのです。
・すぐにいやされることを期待する
42節に「すると、すぐに」とあります。
すぐにいやされることを期待して祈るかどうかです。
ここでのポイントは「すぐに」です。
すぐにいやされること、すぐに答えてくださることを期待してください。
ツァラアトのときに愛され、いやされたことは、彼にとって感動であったとともに、
黙っていられないほどの喜びでしょう。
イエス様は、治すだけでなく、そのあとの人生のことも知っておられます。
神さまにえこひいきはありません。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年4月19日 主日第2礼拝メッセージ