『あつかましく求め続ける』
聖書箇所 ルカの福音書5章16〜18節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・しつこく求め続ける
イエス様が弟子たちに、祈りの原点であるみことば(9〜10節)を語られました。
その「求めなさい」の前に書かれていることを土台に、「求めなさい」と教えておられます。
イエス様は、5〜7節の例え話をなされました。
7節はつまり、『友人が起きて「やめてくれよ、子どもが寝たばかりなんだ。」と言ったにもかかわらず、貰えるまで叩き続けて貰った』ことです。確かに非常識です。
8節に「あくまで頼み続けるなら」と書いてあります。
ここは、「しつこく頼み過ぎると、仕方なく神様が答えてくださる」ことではありません。
しつこく祈ることは大事です。しかし、原語は「あつかましさのゆえに」とあり、
「あつかましく求めるなら答えられる」と書いてあるのです。
しかし、この人があつかましかったのには理由がありました。
自分のことではなく、旅で疲れた友人に「本当に良いものを与えたい。でも自分にはその力がない。だから、あの人のところに行ったら間違いなくある」と思って来たのです。
ですから、私たちもイエス様のところに行けば、必ずイエス様は答えて助けてくださるのです。
あつかましいぐらい、神さまにしつこく求めて行くなら、
「求めなさい。そうすれば与えられます。」ということばの実質を見ていけるのです。
・最善と最高を期待する
そのあとに、「魚を下さいと言うときに蛇を、卵を下さいと言うのにさそりを」とあります。
この例えは極端に思えますが、その方が分かりやすいのです。
それとともに、この世(の悪霊の神々)においては、「さわらぬ神にたたりなし」の様なことばがあり、それは「必要以上に深く関わると大変な目にあう、罰が当たる」イメージです。
しかし、聖書の神様には、どんどん触ってください。なぜなら、祝福が与えられるからです。
感謝して、求めればきっと最善のものが、最高のものが与えられると期待してください。
自分のために、友だちのために、愛する人のために、あつかましく求めて下さい。
奇蹟を見せたいと願っておられる神様は、喜んで答えられます。
・聖霊をくださる
最後に「どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」とあります。
最高に良いものは聖霊であり、聖霊は神の霊、神ご自身なのです。
ですから、聖霊が与えられて満たされると、あなたが願うことは何でも答えて下さるのです。
神に不可能はありません。確かに、一人で祈っても聞かれることはあります。
しかし、一人で祈り続けられない時もあります。
そのとき、一緒に祈れる教会があるということを、ぜひ覚えておいてほしいと思います。
(文責 工藤恵美子)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年5月10日 主日第2礼拝メッセージより