『ペンテコステ』
聖書箇所 使徒の働き2章37〜41節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ペンテコステという日は、初代教会の始まりであったとともに、この神のしもべ長崎教会がスタートした日でもあります。
非常に厳しい時代になりますが、聖霊の素晴らしい働きが起こる時代がやってきています。
私たちも、手ほどの雲を見たときに「大雨が降る」と言ったエリヤのように、時代をしっかり見極める必要があります。
今回は特に38節から、3つのことを中心にメッセージしていきたいと思います。
・悔い改めと赦しの恵み
使徒の働き2章の前半で、風のひびきと舌のような炎とともに聖霊が来られ、異言が始まり、喜びに満たされて、ペテロが代表して声を張り上げて説教し、あとで3千人が救われます。
23節では、「あなたがたがイエスを十字架につけて殺したのです!」と言っています。
「自分たちも殺されるかもしれない」という思いがあり、イエス様を十字架につけて殺したユダヤ人のことを怖がって隠れていた弟子たちが言ったのです。
もし聖霊が働いていなければ、このようには言えなかったでしょう。
聖霊が働かれたことで罪の自覚が与えられ、このメッセージを聞いたユダヤ人たちは、
心を刺されます。
感動しても、罪の自覚がなければ救われません。
しかし、罪の自覚は聖霊が働かれるときに分かり、人々は悔い改め始めるのです。
・本当の悔い改め
「悔い改め」というと、多くの人は「暗い」「重い」イメージを持っています。
しかし、本当の悔い改めは、大きな喜びと希望をもたらし、満たされるのです。
悔い改めたら、十字架で払われた代価で、過去・現在・未来のすべてにおいて罪がすでに赦されているという、その恵みを受け取ってください。
それが、イエス・キリストが十字架の上で最後に言われた「完了した。」です。
悔い改めは「方向転換」でもありますが、頑張って変えられるようなものではありません。
心を向けて、主のおっしゃる方向に向かうと、主が助け、きよめてくださいます。
・聖霊のバプテスマ
いわゆる洗礼であり、多くの人が招かれていますが、選ぶのは本人です。
洗礼とは、神・人・サタンの前に「私はキリストの花嫁です。」と宣言することです。
実際的に、結婚すると法的な守りがあるのと同じように、洗礼を受けると、サタンが何かしてきたとしても神の守りが入ります。
原語の「バプテスドー」とは、「浸す」ということです。
信じて告白すれば、聖霊は来られますが、「浸す・満たされる」とは違います。
聖霊に満たされることで、喜びに満たされていくのです。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年5月24日 主日第2礼拝メッセージ