『奇蹟が起こるポイントと信仰』
聖書箇所 使徒の働き3章1〜9節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
聖霊の満たしを受けたペテロとヨハネは一つになり、神の働きを担いました。
夫婦、親子、兄弟でも、聖霊が来ると、その助けと力によって、一つになるのです。
我々はリバイバルを信じています。リバイバルは、聖霊が激しく臨み、溶け合います。
リバイバルの記録を見ると、ぶつかっていた者たちが聖霊によって一つとなり、神の働きをするということが、どこの記録にも書いてあります。
・イエス様から与えられる信仰
ペテロとヨハネは、祈りの習慣が身についていたことが分かります。
奇蹟は恵みによって突然起こることもありますが、継続して起こるには、祈りの習慣が重要です。
ペテロとヨハネが、宮(今で言う教会)に行くと、生まれつき足の萎えた人が運ばれてきました。
社会福祉制度のない当時、ユダヤ教では貧しい人に施すことは、神に仕えることの一つでした。
この男の人は、施しをもらって生きていました。
自分が治って歩くという発想は全く持てず、「そんなこと起こるはずがない。」と思っていました。
そんな彼に、ペテロとヨハネは「しっかり私を見なさい。」と言いました。
この男の人は、「何か施しをもらえるのではないか」と期待したと思います。
しかし、ペテロは「ナザレの主
イエス・キリストの名によって歩きなさい」と語りました。
彼が全く考えもできない、願ってもいないことが語られ、その場で奇蹟が起きました。
神さまは同じことをあなたにも語られ、問題に対して根本からの解決を与えられます。
ペテロとヨハネは、「この人が歩くことができる」という信仰は、自分たちの信仰ではなくて、イエス様から与えられた信仰だと言いました。
聖霊が来ると、一つになるだけでなく、神さまから信仰も与えられます。
・助けを受けて踏み出す
奇蹟が起こるときのもうひとつのポイントは、神のことばに踏み出すことです。
しかし、この人の足が萎えたままである限り、いつまでたっても歩けません。
神のことばに応答しなければ奇蹟は起きませんが、自分で応答できないときは助けが必要です。
このときも、ペテロがこの人の手をとって立たせたとき、くるぶしが強くなり歩き始めたのです。
彼は、踊りながら賛美して宮に入って行きました。本当に嬉しかったことでしょう。
このように、神さまがなすときは、レベルの違う奇蹟が起こるのです。
神さまの奇跡は、マイナスをゼロで終わらずプラスにまでする、素晴らしい奇跡です。
もしみなさんの周りで、期待できないでいる人や、自分の範囲でしか考えられない人がいる場合でも、あなたが聖霊に満たされたら、この信仰をもつことができます。
そして、あなたを通して、あなたの家族や友人たちに奇蹟が起こります。
あなた自身が、この足の萎えた人のように弱っていても、教会に集まると神さまは「起きて立って歩きなさい」と語ってくださり、奇蹟をなさいます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年5月31日 主日第2礼拝メッセージ