『十字架の救いと贖い』
聖書箇所 ヨハネの福音書19章 28〜30節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
イエス様は十字架で7つのことばを語られましたが、今回はそのうち最後の方の2つです。
地上に人となって来られ、私たちと同様に肉体を持たれましたが、罪のないお方です。
それは、遍在される神であられる方が、肉体を持たれ、限定された地上に来られ、限界の中を生きてくださったとともに、痛みを感じられたのです。
十字架の直接的な原因は、イエス様の人気に対する、パリサイ人や律法学者からのねたみです。
裏切ったユダが真夜中に捕えに来て、イエス様は真夜中に不当な裁判を受けます。
・苦しみを知っておられる
先に動物の骨を付けた、体にくい込む鞭(むち)で打たれてから、十字架につけられます。
背中はおそらく破れ、血が出て痛かったところに、荒削りの、とげもたくさん出た十字架です。
その十字架で、両手と足に釘が打ち込まれ、あまりにも苦しかったため、6時間で死なれました。
そして、肉体の苦しみの極みまでいき、肉体的・精神的な孤独の極みまでいったあと、いつも神とひとつであったイエス様が神に捨てられ、地獄にまで行かれます。
28節「わたしは渇く」は、詩篇69:21のみことばの成就でしょうが、本当に渇ききっていました。
29節で、あざけり・はずかしめの、より痛みを増す、酸いぶどう酒を受けられ、もっと苦しみの極みまでいかれたのです。
誰一人として人間は、あなたの苦しみを完全には分かりえません。
しかしイエス・キリストは、私たちの苦しみや孤独を分かってくださっておられるのです。
・十字架で完成された贖い
イエス様の使命は、私たちを愛し、ほふられた小羊となって、私たちの身代わりとなって十字架で自分のいのちをささげ、苦しみぬいて地獄に行って、人々を罪から救うことだったのです。
なんとしてでも、救いと贖いを完成させるためだったのです。
他の宗教や霊は、わざを似せていやしたりすることはあっても、贖いや救いは絶対にありません。
十字架の救いは、私たちを罪から贖い解放し、根本から造り変えてくださいます。
それゆえ、ボーンアゲインといいます。
そして、このイエス・キリストを人格として私たちは受け入れ、ともに歩んでいるのです。
この神を信じることは、宗教ではなく現実であり、祈ると答えられます。
・福音を宣べ伝える使命
すべてのクリスチャンに使命はありますが、その究極は福音を宣べ伝えることです。
「完了した。」イエス様は、十字架で代価を払われたのです。
しかし、その福音を知らない人たちが山ほどいて、イエス様は渇いて待っておられます。
私たちがうまく歌えなかったとしても話せなかったとしても、本当に神さまに向かって賛美し、十字架の愛と、イエス様の素晴らしさを伝えれば、あとは主が働かれます。
すべて赦され、贖われたその素晴らしさを、ぜひ証し、イエス様を分かち合っていきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年7月19日 主日第2礼拝メッセージ