『主の前にへりくだる』

              聖書箇所 マルコの福音書15 3342節   メッセンジャー イザヤ木原真牧師

先週に続き、十字架の話ですが、今回は「へりくだり」をテーマにメッセージしていきます。

私たちが信じている聖書の神さまは、偶像の神々ではなく、全宇宙や時間を創造された神です。

ですから本来、この神さまは場所にも時間にも制約されません。

しかし、その神であられるイエス様は人となって、あらゆる制約のあるこの地上に来られました。

しかも、「イエス様は私生児である」という偽りが生じることが分かっているにもかかわらず、処女マリヤの胎を通して、人間と同じようにお生まれになり、人間と同じところを通られたのです。

ですからこれ自体が、狭い制限の中に入って来られたという、すごいへりくだりです。

 

神さまから捨てられる叫び

 33節では、満月の時でありながら、超自然的現象で真っ暗になります。

34節で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれます。

光が闇に閉ざされた時間、まさにイエス様が神であるにもかかわらず神に捨てられ、私たちの代わりに地獄にまでも行かれた瞬間です。

本来、これは私たちが叫ばなければならなかった叫びを、イエス様が代わりに叫ばれたのです。

黙示録を見ると、この地上が終わった後に来る千年王国の終わりの裁き(=ノンクリスチャンの裁き)で、「いのちの書」に名が記されていない人々は全員、地獄・火の池に投げ込まれます。

そのときに人々が叫ぶべきことですが、私たちクリスチャンはもうその必要がありません。

 

神殿の幕が裂ける

あざけりの酸いぶどう酒をいただいたあと、大声で息を引き取られます。

そして、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けます。

これは当時、聖所と至聖所(年に一度の大贖罪日に、大祭司のみが入って神と交わるところ)の間に設けられていた分厚い幕が裂けたことで、私たちはいつでも、誰でも、どこでも神さまに会えるようになったということです。

イエス様が私たちの罪や罰の贖いを全部引き受け、神に捨てられ地獄にまで行かれたためです。

 それは、それほどまでに私たちを愛してくださっているからです。

 

 私たちはイエス様を信じている以上、必ず天国には行けます。

しかし、キリストを知らない人々は、どんなにいい人も火の池に投げ込まれます。

私たちは天国のことだけでなく、地獄のことも語る必要があります。

霊を造り変えられるのは、イエス・キリストの十字架のみです。

まだ救われていない魂のために、もっと心を向けてみてください。

与える人は受けるという、聖書の原則が必ず開かれます。

神さまの前に本当のへりくだるということは、どのように言われても、イエス様のことを伝えるために、私たちの人生を使うことですが、これは究極の使命であり、祝福です。

そうすれば、最善しかなさらない主が、必ず報いてくださいます。

(文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2015726日 主日第2礼拝メッセージ