『赦しなさい』

                  聖書箇所 ルカの福音書6 37節   メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

37節に「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」とあります。

神様は、私たちに「赦しなさい。」と語っておられるのです。

つまり、私たちに赦せないことがある、起こるということです。

聖書に書かれている愛は、すべて神の愛で、ギリシャ語で「アガペー」の愛です。

その究極の愛が、イエス・キリストの十字架です。赦すところから、聖書の愛は始まるのです。

「赦してほしい」や「悪いことをした」と思わない人々をも、イエス・キリストの十字架で神は赦されました。
 

・十字架と赦し

主に従って行くと、十字架が始まり、赦せないことが起こって来ます。

この時「赦さなければならない」と、クリスチャンが律法に生きようとすると苦しいのです。

私たちは「〜ねばならない」から解放される必要があります。

なぜなら律法は、十字架でキリストが全うされたからです。

ですから、神様の「赦しなさい。」とは、神様が私たちに赦す力を与えて下さるということです。

それゆえに、心も霊もすべての問題が解決します。

希望や成就のすべてが、十字架にあるのです。
私たちは、最も身近な人が赦せなくなることがあります。

それは、汚い、醜いところが見えるからです。サタンが、その赦すべき人を送って来ます。

その時、会わない様にする、避ける、又は忘れる、考えない様にする人もいるでしょう。

しかし、それでも神が向き合わせる時が来ます。その時は逃げないで下さい。

大事なことは、赦す時、赦すその本人が祝福を受けるということです。

 

神のことばに従う

しかし赦せない時、相手でなく本人が病気になったり、破壊されるということが起こります。

サタンはそのことを知っており、クリスチャンである私たちを赦さないで、苦しんで、追い込ん

で、破壊してくるのです。

今「リバイバルが始まった」と言われて、本当に十字架、キリストに従って行くと、赦せない人

が置かれたり、赦せないことが起こります。

やはりその時は、「赦さなければならない」と頑張るのではなく、赦せないことを認め、主の前にそのことを注ぎ出し、感情は伴わなくても、語られたことばに単純に従いましょう。

その時、聖霊が来るからです。

神の恵みによって赦せれば、本当に自由が来るだけでなく、相手が愛おしくなります。

「十字架がこんなに大きかったんだ。」「こんなに深かったんだ。」と、その時に知るのです。

その時あなたを通してたくさんの人が、神を体験するようになります。

是非このことを覚えてほしいと思います。

(文責 工藤恵美子)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

20158 9日 主日第2礼拝メッセージ