『心を定めて一人で祈る』
聖書箇所 マタイの福音書6章6節ほか メッセンジャー イザヤ木原真牧師
祈りには、教会での祈りと、ひとりでの祈りとがありますが、どちらも重要です。
ひとりでの祈りを失うと、神さまとの内緒話がなく、神さまを深く知れません。
人間同士でも二人だから話せることがあるように、神さまと一対一で祈ることも大事なのです。
つぶやくことはよくありませんが、感謝しつつ心を注ぎだすことは罪ではありません。
それをひとりでの祈りですると、神さまに触れていただくことができるのです。
・戸を閉めて(マタイ6:6)
神さまに真剣に心を定めて祈ると、神さまはあなた以上に真剣に向き合ってくださいます。
そうしないと、神さまからのことを受け取れない場合があるからです。
神さまにはどんな弱さや欠けさえも、十字架できよめ、包み、答えてくださいます。
願ったとおりになるとは限りませんが、あなたが願った以上のことをしてくださいます。
隠れたところでしている祈りや奉仕は、人には見えませんが、神さまは見ておられます。
・1時間の祈り(マルコ14:37-38)
ゲッセマネの祈りのところで、イエス様がシモンに「一時間でも目をさましていることができなかったのか。」と言っておられます。
ここにあるように、1時間の祈りがカギです。
「心を亡くす」と書いて「忙しい」となりますが、24時間のうち1時間でも祈れないほどに忙しくするなら、字のごとく、心を失い、大切なものを失い、人生のどこかで必ず深い後悔をします。
神さまのために1時間を聖別して祈ることは、律法ではなく恵みです。
聖書にあることを信じて祈ることで、全世界を造り、全宇宙を造り、歴史を導かれた神さまの愛を、あなたや愛する人の生活の中で、現実に体験し、その神さまの栄光を見、体験するのです。
知識として知るのと体験するのは違いますし、神さまのみこころは私たちの力ではできません。
また、知識だけで終わるなら、それはむなしい宗教です。
祈ると、聖霊の力と助けを受け、私たちはみこころを行うことができ、従うことができます。
心を定めて1時間祈るのは、サタンが祝福を奪おうと妨げたり誘惑したりするので簡単ではありませんが、他のことは1時間祈ってからにしましょう。
・確信と忍耐(ヘブル10:36)
すぐ答えられることもありますが、あまり嬉しくはありませんが多くは忍耐を通ります。
忍耐を通っていない信仰は、本物ではありません。
祈ると忍耐を通りますが、祈らないと試練や困難を通ります。
すべてではありませんが、祈ることで避けられる試練や困難があるのです。
答えを受けるまで、忍耐を持ってください。
チャレンジと選びですが、誰もあなたに代わって祈れません。神とあなたの関係です。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年9月20日 主日第2礼拝メッセージ