『それは人にはできない、神にはどんなことでもできる。』
聖書箇所 マタイの福音書19章26節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
これは、長崎教会に今年度、明確に示された言葉です。
この前後(16〜30節)を見ていきましょう。
16節では、ひとりの人がイエス様に、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねますが、それに対してイエス様は、「戒めを守りなさい。」と言われ、18-19節の戒めを言われます。
この青年はいずれも守っていると言いましたが、さらにイエス様が「行動で完全になりたいなら」という意味で21節のことを言われると、この青年は悲しんで去りました。
多くの人々が「○○をすることによって天国に入れる」というように、行いを中心に思っていたり、クリスチャンでも真髄から外れて行いを気にしていたりします。
しかし、人間は律法を全うすることはできず、行いでは絶対に天国に入れません。
中心は行いではなく、信じることです。
しかし、本当に信じるようになると、その結果として、行いも良くなっていきます。
23-24節のことは、「へりくだれば天国に入れる。」ではなく、「いくらお金があっても、そのようなものはむなしく、天国に入れない。」ということを言っています。
つまり、いくら頑張って成功して富を築いても、永遠とは無関係であるということです。
日本人は自分でがんばる国民ですが、頑張ってもできないことはいくらでもあります。
人間的にいくらうまく尽くしたとしても、クリスチャンとして失うものがあります。
自分でできないことがあることを理解し直面したら、それは幸せです。
なぜなら、神さまに求める準備ができたからです。
23-24節の話を聞いて、弟子たちは「一生懸命に生きてきて、それで救われなかったら、誰が救われますか。」ということで、たいへん驚きます(これは根本から間違いです)。
そこで、26節のことばです。
救いや永遠、あがないに関することは、人にはできませんが、神にはできるのです。
十字架で解決できない問題は、地上には何一つありません。だから、希望なのです。
ペテロは「何もかも捨ててあなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」と、イエス様に答えます。
ペテロは網(漁師の仕事)を捨てましたし、ヨハネは父を置いてきました。
するとイエス様は、28-30節のことを話されましたが、特に「捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受けます。」と言われています。
家族に限らず、神さまに従うために捨ててきた人は全員ですから、例外がありません。
神さまを信じ、従う結果、捨てるべきものがあり、救いに至るのです。
また、永遠という価値と世界の中で、神さまは豊かに祝福して返してくださるのです。
神さまのことばの真実を、お互い見ていきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年11月15日 主日第2礼拝メッセージ