『成就の時が来る』
聖書箇所 ルカの福音書1章57〜66節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師イエス様の公生涯の道備えをされた、バプテスマのヨハネが誕生したところです。
5〜6節で、ザカリヤとエリサベツは『神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行って』いました。
ところが、エリサベツは不妊で、ふたりともすでに年を取っていたのです。
旧約の時代ですから、子供がいないということは「神の祝福を十分に受けていない」、もっと言えば「呪われている」と、とらえられていました。
確かに神さまは、罪に関しては正しく裁かれますから、悔い改めは重要です。
しかし、ザカリヤとエリサベツは、正しく落度なく行っていて、こうだったのです。
なぜなら、「女から生まれた者の中で、もっともすぐれた者」と言われたバプテスマのヨハネを授かって両親になるという、特別な使命があったために待たされたのです。
忠実に、誠実に神さまの前に生きていても、なかなか応えられなかったり、「どうしてこんなところを通るんだろう。」と思うようなところを通ることがあります。
でも、そこで落ち込んだり否定的になったり、相手の落度や罪を探そうとする発想は、福音的ではありませんし、聖書はそのようなことは言っておられません。捨ててください。
特別な使命があるからです。
8〜11節で、ザカリヤは天使の聖さに恐怖を覚えます。
そこで、天使は「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。」と言います。
13〜17節にわたり、名前(ヨハネ)や使命など、かなり具体的に語っています。
しかし、あまりにも忍耐が長すぎたために、18節でザカリヤは否定的なことを言います。
さらに、喜ばなかった結果、ザカリヤは話せないように、愛のゆえに懲らしめられます。
ただ、天使はそれでも「子供は与えられる」と言っているのです。
あなたにも、「いや、そうは言っても。」と言ってしまうことがあるかもしれません。
24〜25節で、エリサベツがみごもるという、ありえないことが起こったのです。
約束には、条件付きの約束と、無条件の約束があります。
しかし、人の約束とは違い、神さまは約束を必ず果たされます。
57節で、男の子が産まれます。
神のことばの成就は、その人だけでなく、たくさんの人々に喜びを与えます。
59節にあるとおり、当時は父親の名前にちなんで子供に名づける習慣がありましたが、60〜63節で神に言われたとおり、男の子に「ヨハネ」と名付けました。
ザカリヤは、話せなくなる前(18節)は不信仰になってしまっていましたが、口が開けて(=再び話せるようになって)始めに神をほめたたえました(64節)。
話せなかった10ヶ月の中で、神に従う心と神を賛美する力が与えられたのです。
そして、それから育てる使命が始まったのです。
懲らしめや訓練は嬉しくありませんが、それは神に従う心と神を賛美する力を与えてくれます。ぜひ、約束の成就を見るとともに、証をしていきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2015年11月22日 主日第2礼拝メッセージ