『へりくだって求め、ささげる』

         聖書箇所 ルカの福音書620-26節     メッセンジャー イザヤ木原真牧師

ここは、マタイの福音書で有名な、山上の説教の箇所と対比されて書かれている箇所です。

2023節で、貧しい者・飢えている者・泣いている者・人々から憎まれるときは、幸いであるとありますが、世の中の価値観でいえばこれらは幸いではありません。

ところがイエス様は、これを「幸いである・祝福である」と言われました。

これには、ふたつポイントがあります。

 

・天での祝福と地上での祝福

そのような人は神に真剣に求めるゆえに、必ず天で確実に祝福されるからです。

貧しいというのは経済だけでなく、心の貧しい場合も含むとともに、「砕かれた者」や「へりくだった者」という意味でもあります。

ただ、「天で祝福されるから我慢しなさい。」ということではありません。

そのような人たちは、神にすがるので、それらのマイナスが必ずプラスになるからです。

また、この箇所はクリスチャン向けに語られています。

ということはつまり、それらマイナスの状況は、神に求める結果、地上でも天でも受けられるゆえに、幸いであるということを言っているのです。

逆に、2426節のように、富んでいる者や食べ飽きている者、笑っている者、みなの人にほめられる者は、今すでに慰めを受けており、神を求めないゆえに、天で祝福を受けられません。

 

・受けたら与える

神から受けることができるので、いつまでも貧しかったりするわけではありません。

豊かになったり、満腹になったりします。

ただそこでそれらに安住して、神を求めなくなると、幸いではなくなります。

では、どうすれば神に求め続けることができるのでしょうか。

38節に「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」とあるとおり、受けた祝福を与えていくことです。

求め、受けたら与え、なくなったら求める繰り返しです。

クリスチャンの人生は、与え続ける人生ですが、なくならず、ますます祝福されていきます。

 

イエス様を愛し従うと、「なぜ?」と思うところを通ることがありますが、絶好のチャンスです。

あなたが本当に心を注ぎだして、「神、助け出してください。」という心が重要です。

あなた自身でなくても、あなたの愛する人の心などが貧しくなってはいませんでしょうか。

キリストにあって迫害される人も幸いです。間違いなく天で最高の報いがあります。

受けたら与え、飢え渇いたら求めましょう。

愛する人のためには、渇き、計算もしますが、愛する者は計算を超えます。

大胆に求め、与えささげていきましょう。

  (文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

20151227日 主日第2礼拝メッセージ