『聖霊の恵みを受けて祈る』
聖書箇所 ルカの福音書22章39-46節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
今回は、有名なゲツセマネの祈りです。
ゲツセマネで、イエス様は血のような汗を流し苦しみもだえ、祈られます。
・祈る習慣
この祈りは、十字架の前だけではありません。
イエス様は、すでに「ここに来たら祈る」という場所と時間をもっていました。
祈りが、生活の中で身についていました。
私たちも、人生の大切なとき祈る必要があります。
生活のなかで、祈りが身についているとき、人生の大事なときに祈る力、祈る恵みが注がれます。
神のことばが鍵ですが、祈る時、神のことばが入ってくるし神のことばを聞くことができます。
だから、祈りの習慣が身についていることは重要です。
・十字架と祈り
私たちの人生でも、十字架を負うときがあります。
肉によって戦うのではなく、祈りの中で戦ってください。
神さまの御前に出て祈るとき、神の力を受けて勝利します。
イエス様が祈られていた時、弟子たちは眠っていました。
このとき、イエス様は孤独でした。
御体なる教会と共に戦うことはとても重要ですが、一人で戦わなければいけないときがあります。
ただし、どうしても一人で祈れなかったら、教会と共に祈ってください。
そこで祈るときに、神の御手が動きだします。
・聖霊による祈る恵み
イエス様がゲツセマネで苦しみもだえ祈られている時、弟子たちは眠り込んでいました。
結果的にペテロは、イエス様が十字架にかかる時、イエス様を裏切ってしまいました。
ところが使徒行伝を見ると、弟子たちは祈りが身につき、命懸けで福音宣教をしています。
なぜ祈りが身についたかというと、ペンテコステで聖霊を受けたからです。
聖霊を受けると、肉の力で頑張ることなく祈ることができます。
神の助けなしに私たちは祈れず、祈り始めると突然掃除したり、手紙を書きたくなったりします。
祈ることは祝福なので、本気になってサタンが祈りを奪いにくるからです。
「いつもの場所で、その時間祈る」習慣を身につけるとき、私たちは神の助け、勝利を見ます。
神にはどんなことでもできます。
この言葉の成就を、私たちは祈りを通して見ることができます。
これから困難な時代がやってきますが、祈りによって神の特別な守りと助けを見ていきましょう。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年 1月31日 主日第2礼拝メッセージ