『十字架の赦しと癒しの力』
聖書箇所 ルカの福音書23章33-38節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
イエス様は一度も罪を犯したことがありませんでしたが、罪人である私たちを救うために、まったく罪人と同じようになられ、十字架にかかられました。
イエス様は父なる神に向かって、直接的にはイエス様を十字架につけた役人や群衆の赦しを祈られましたが、これは時代を超えて、私たち一人ひとりについても適応できる祈りです。
全く罪のなかった方が呪い、罰、裁きを受けて死んで、よみにまで下られました。
私たちを救うために、神であられた方が神に捨てられてました。
だから私たちはもう地獄にいかなくていいですし、どんな罪も悔い改めると完全に赦されます。
イエス様を十字架につけた人たちは、自分が何をしているのか分かりませんでした。
多くの場合、自分が罪を犯していることが分かりません。
しかし、イエス様は罪を犯していると気づいていない人たちのために、十字架にかかられました。
聖霊が臨むと、罪が分かります。
本当にイエス様の十字架が自分の罪のためだと分かると、十字架の愛が迫ってきます。
赦されていることの喜びが溢れてきます。
イエス様は私たちを愛して、私たちのためにとりなしてくださいました。
この祈りがあるから私たちは赦されています。
悔い改めると、一度も罪を犯していない完全な赦しがきます。
私たちは受けるにふさわしくありませんが、十字架で赦されているから、神さまに大胆に求めていいのです。
イエス様は自分を救うことができましたが、私たちを愛するがあまり、私たちを救うためにそれはできず、どんなに嘲られても馬鹿にされても、イエス様は降りてこられませんでした。
十字架の愛や神さまの声は、私たちが人生で最悪なときに、上からではなく下からきます。
イエス様が下から十字架の愛によって私たちを抱きしめ、引き上げ、復活させてくださいます。
十字架の力は罪の赦しだけでありません。
イザヤ書53章には、「イエス様の打ち傷によって私たちはいやされた」ことが書いてあります。
詩篇103篇には「十字架ですべての病を癒す」とかかれています。
原則として、十字架はすべての病を癒します。
でも実際、治らない場合もあります。不信仰によっていやされない場合や、もう1つはいやされるのに時があるからあえてすぐに治らない場合です。
しかし、その期間があるからこそ受けられる信仰の建て上げ、神さまの恵み、祝福があります。
もう一つは天国に召される時で、これは究極の癒しと言えます
罪に縛られず、天国は死も涙も悲しみもないので天国のほうが間違いなく幸せだからです。
しかし、これはイエス様の十字架を信じた人にのみ適応できます。
十字架に癒しの力があることを受け取るときに、十字架の赦し、いやしを受けることができます。
これは私たちを祝福するだけでなく、周りの人にも祝福を流していきます。
この恵みを共に受けていきたいと思います。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年 2月
7日 主日第2礼拝メッセージ