『十字架でなされた福音』

            聖書箇所 ルカの福音書1339-43節    メッセンジャー イザヤ木原真牧師

十字架の7つの祈りのうち、34節の「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」という祈りを、イエス様は何度もされたと思われます。

しかし、今回のことば(43節)は1度のみでした。

 

39節で、犯罪人のうちひとりが、イエス様に「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と悪口を言いました。

マタイ27:44で、最初は二人とも、群衆とともに悪口を言っていたことが分かります。

十字架刑(当時の最高刑)は極悪犯罪人か政治犯かで、本人も自覚している悪い人です。

その十字架刑はあまりにも残酷だったため、イエス様のすぐ後にローマがやめました。

釘を打たれるたびに34節のように祈られましたが、犯罪人が悪口や罵声を浴びせても、イエス様は一言も言い返されませんでした。

苦しみの極みの中で、あざける人々のためにとりなして祈るイエス様を、隣に見ていた犯罪人のうち、一人は気付いて変わりましたが、もう一人は最後まで気付かず悪口を言い続けます。

「見えていながら、目を向けていなかった」がために、一人は分からなかったのです。

心を主に向けて礼拝すると、本当にイエス様に触れられることがあります。

聞いていながら別のところに心を向けていると、聞こえていても分からないのです。

40-41節でもう一人の犯罪人はたしなめて言い、その中で自身の罪に気付き、認めています。

他人のせいにしたりするなどして、悪を犯しても犯していることに気付くとは限りません。

その証拠に、犯罪人の一人は最後まで変わらなかったのです。

罪を認めるか否かは大きな違いです。

人との比較では気付きませんが、神さまの聖さに触れると、自身の汚れや罪が分かります。

 

42節で、一人は「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言います。

あまりの罪深さに気付き、それしか言えなかったのです。

すると、その瞬間にイエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました。

「天国へ連れて行ってください。」などとまでは言えませんでしたが、この人の悔い改めは、心から出た真実な悔い改めであり、心からの願いだったのです。

「きょう」は「今」とも訳すことができ、「その瞬間からすべて赦され、聖いものとなった。神のもの、天国のもの。十字架の苦しみから解放され、天国が現れて行ける。」ということです。

 

さんざん悪を働き、十字架の苦しみの中で、あとは死ぬだけで何もささげられませんでしたが、それでも悔い改めた瞬間にいのちを与えられました。これが福音です。

ただただイエス様が十字架でなされた恵みを信じ、すがるとき、無条件で与えられます。

行いや律法を中心にではなく、福音に生き、信じることを中心にし、神に期待しましょう。

(文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2016 228日 主日第2礼拝メッセージ