『この上もない喜び』
説教箇所 ヤコブの手紙1章2〜4節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
この箇所は、最悪と思えるところでさえも、神様は祝福に変えてくださると言っています。
決して、「無理して喜びなさい。」ということではありません。
実際、身内などの人間関係や経済的な困難、あるいは病などが同時に重なって襲ってきて八方ふさがりなとき(=試練のとき)にも、2節のことばのとおり「この上もない喜び」として喜ぶとき、それが祝福と最善に変わるので、そのことを喜ぶように言っています。
試練は、あえて神さまが愛をもって、深い意味を持って許されており、試練が実際的にも益になると語られています。
ここで語られているこの上もない喜びが、英語では「Great
Joy」です。
「喜んだら逆転するから、喜びましょう。」というのは、正しくありません。
様々な困難のとき、信仰が試されます。
与えられた約束や祈りの答えがすぐに与えられる場合もあり、待たされる場合もあります。
待たされ、試されることで信仰が振るわれ、その訓練を通過することで、私たちはより成長し、より確かな者にされていきます。
その訓練の中心は忍耐で、忍耐は信仰の宝であり、忍耐を学んだ人は本物の信者となります。
信じ続けることがポイントであり、それを通して信仰の恵みを豊かに受けます。
罪があるときは悔い改める必要がありますが、真剣に主を愛し仕えていても、忍耐が続く場合があります。
すぐに受ける祝福とあとで開かれてくる祝福があり、試練や訓練は信仰の立て上げの祝福であるとともに、私たちの忍耐を通して神さまの完全があらわされます。
待たされると、私たちは与えられた約束が、本当に神さまから来たのか不安になったり、他人と比べたりしやすいですが、その状況の中で信仰が振るわれるのです。
試され、待たされること自体が祝福ですし、その後に神さまが用意されている祝福があるからこそ、これは「Great Joy」で、このGreat Joyは奇蹟をもたらします。
実際、十字架ですでに勝利はとられています。
ですから、クリスチャンは、どんなマイナスも例外なく、必ず最善に変えられていきます。
永遠においても最善に変えられていきますが、地上でも同様に最善に変えられていきます。
忍耐を通して振るわれ、その中にあっても信じて喜ぶことがカギです。
私たちは祝福を受け継ぐために召され、そして愛され祝福されるために召されました。
神さまは私たちを、今日も変わらず、えこひいきなく愛し続けてくださっています。
にもかかわらず試練が許されるのは、それを通してでないと整えられないことがあり、そうしないと受けられない宝と祝福があるからです。
今年は、Great Joyを通しての祝福が、お互いの生活の現場のただなかで、また驚くべき神さまの証しが必ず豊かに溢れてきます。
神さまに期待していきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年4月24日 主日第2礼拝メッセージ