説教箇所 使徒の働き 6章 7節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
エルサレムで神のことばが広まり、弟子の数が非常に増え、ユダヤ教の祭司たちが次々と信仰に入ったこの箇所は、長崎教会に示されている約束であり、素晴らしい御言葉です。
ギリシャ語を使うユダヤ人はイスラエルから離散し、海外で生まれ育った人々です。
一方、へブル語を使うユダヤ人たちはイスラエルで生まれ育った、生粋のユダヤ人です。
ギリシャ語を使うユダヤ人は、やもめたちが毎日の配給でなおざりにされていたため、優遇されていたヘブル語を使うユダヤ人たちに苦情を申し立てました。
・問題は祝福のはじまり
使徒行伝で聖霊が降臨したあとに、このような問題が起こりましたが、これがきっかけで、教会は成長することになり、この問題をあやふやにせず、神さまに祈りました。
ただこれは、「食卓に仕えるのが下、神に仕える方が上」というわけではありません。
使徒たちは神さまから、使徒としてその使命に召されたゆえ、「神のことばと祈り等に召されているので、その使命を放置できない。」といった意味です。
だから、弟子たちの中から、食卓に仕えることに召されている、御霊と信仰に満ちた7人を選び任命しました。
どちらが上か下かはなく、神がどの働きに召されたかがポイントです。
神が与えた使命をしっかり受け止めて、そこに生きる人が、神の働きをなすのです。
教会でも個人でも、問題はマイナスではありませんし、その問題を通して神さまのもとに行くとき、本来の立ち位置やすべきことがはっきりし、神の働きが力強く進みます。
・神のことばを語る
弟子たちは、神のことばとともにキリストご自身を語りましたが、神のことばが語られると教会の土台となる弟子が増えます。
これは当たり前のことですが、教会はここからずらされる場合があります。
この終わりの時代、神に真に聞き従う教会と、そうでない教会の二つに必ず分かれます。
神のことばを語りキリストを語り伝えるとき、必ずぶつかりがきますが、そこで引くことなく語り続ける時に、教会は成長してゆきます。
・律法ではなく信仰に入る
「多くの祭司たちが信仰にはいった。」の祭司たちは、ユダヤ教の指導者たちです。
律法と信仰は違い、律法で人は救えませんし、律法は肉の力で全うできません。
唯一、律法を完璧に全うしたイエス・キリストを信じるときに、この方ご自身が私たちの内に住んでくださるので神さまは、律法を全うした者として私たちをみてくださいます。
当時の律法学者は超エリートで、律法を守ることに力をかけていましたが、その律法学者たちが、正式な学問を受けていない弟子たちを通して信仰に入ったのは、まさに奇蹟です。
このような神さまの奇蹟が日本でも起こってきます。神さまに期待していきましょう
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年 6月 5日 主日第2礼拝メッセージ