『聞かれる祈りのポイント』
説教箇所 ルカの福音書18章1〜14節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
1節の「失望してはならない」は「失望してしまうことがある」ということであるとともに、この1〜8節は祈り続けることによって答えられることのたとえです。
・やもめと裁判官のたとえ
1人のやもめ(=未亡人)がひどい目にあって『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と訴えましたが、裁判官は相手にせずにいました。
そこで、何度も何度も繰り返し行くと、「うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。」と言います。
ここはつまり、「こんなに悪い裁判官でさえ、何度も行くと裁判をやってくれるのですから、まして愛の神であり正しい神様が、選民(=イスラエルの民。今で言うクリスチャン)のためにいつまでも正しい裁きをつけないでおられるだろうか。」ということです。
特に、神の祝福が来る前は一番きつく、祈りが聞かれる直前であきらめたくなりますが、あきらめないで投げ出さないで祈ることが鍵です。
・パリサイ人と取税人のたとえ
パリサイ人は律法を守っている人で、取税人は税金を取ってローマに収めるとともに、その中から多額の金を抜き取っていたので、罪人と並べられるほど嫌われていました。
まず、パリサイ人が『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』と祈っています。
ここで「ほかの人々のように」と言っており、「自分はあの人この人とは違う。特に、この取税人とは違いますよ。」と、人と比較をし、全く神様に祈りが向かっていないのです。
十分の一をささげることも、二度の断食も素晴らしいですが、心が高いことが問題です。
一方、取税人は宮にも行けず、神様を見上げることも出来ないほどに、自分の罪が分かっていたため、「こんな罪人の私をあわれんでください。」と言うしかなく、胸をたたいて遠く離れて立って祈っています。
「この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」とあるとおり、神様はパリサイ人ではなく取税人を義と認められました。
祈りが聞かれる鍵は、心くだかれた祈り、へりくだって祈る祈りです。
くだかれる時、弱さを覚えたり、もう駄目だなと思わされ、落ち込むことがありますが、本当にくだかれた心は落ち込まないで神のところに行き、神への信仰を生み出します。
そのままで、取税人のように主の前に出て行くと、神の深い憐れみがやってきます。
(文責 工藤恵美子)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年 6月12日 主日第2礼拝メッセージ