『キリストによる創造といのちと光』
説教箇所 ヨハネの福音書 1章 1〜 5節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・キリストによる創造
ここは非常に有名な箇所ですが、「初めに」と聞くと、ユダヤ人など聖書を知っている人たちは反射的に「神が天と地を創造した。」と言うことができます。
始業式とかの「始」は一度終わった物事が再開することを言いますが、「初」は最初(全くの無)から物事が起こされることを言います。
「初め」からキリストは存在し、ことばがともにあり、のちに天地万物を創造されます。
「ことばは神とともにあった」とは、神とことばは別の存在ですが、並んであったというわけではなく、深い交わりと関わり(=密接な関係)を持っていたということです。
神の方がはるかに高く、わたしたちの理解を越えますが、別々でありながらひとつです。
三位一体は、理解することではなく、信じることです。
すべてのものが、キリストによって創られました。
キリストによらずにできたものはひとつもなく、サタン(元は天使→落とされて堕天使となった)も被造物ですから、神とともにあってより頼むなら恐れることはありません。
・キリストはいのち
ここでの「ことば」は位格を持ったもので、このことばにいのちがあります。
すなわち、キリストにいのちがあります。
キリストを信じていないと、どんな他の宗教にも、どんな良い人でも立派な人や成功者、あるいは立派な人であっても、いのちがありませんから、死しかありません。
ですから、キリストにしか本当の救いはなく、いのちはキリストにしかありません。
・キリストは光
このいのちは人の光ですから、イエス様のいのちが光です。
どんな小さい光でも闇を照らし、あるいは透過するように、必ず闇に打ち勝ちます。
闇は光に勝てませんから、わたしたちがどんな罪の中にいても、あるいはサタンの支配下で問題が襲ってきても、イエス様の光が勝ちます。
つまり、キリストは決して、サタンに覆われて光が消えるほどに小さくはなりません。
ぜひ、心に刻んでください。
これらのことは、変わらない真実であり、キリストを信じているなら頑張らなくてもわたしたちには当然にいのちがあり、光があるのです。
お互いに罪人で、つまずきを与えることはありますが、恵みによって神さまのことばに触れて従っていくと、わたしたちの遣わされている職場や学校、あるいは家庭などで、あなたはいのちの源となり、光となるのです。
このことを土台にしっかり知っている必要がありますが、信仰が律法にならないようにしつつ、このことに気付き、お互いを通してこのいのちを流し、照らしていきましょう。
神さまはこれから、この地上で、長崎で、光のわざをなさいます。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年6月19日 主日第2礼拝メッセージ