『神のことばの権威と成就』
説教箇所 マタイの福音書 8章 1〜13節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ツァラアト(らい病)にかかると、家族だけでなく誰とも接触が認められず、社会的にも隔離され、旧約聖書にあるとおり宗教的にも「汚れた者」とされ、「らいの谷」の外ではツァラアトであることを叫び続けながら行かなければなりませんでした。
イエス様のもとにたくさんの群衆がいたにもかかわらず、ツァラアトの人がそれでも来てひれ伏したのは、イエス様を救い主・神と信じ、ツァラアトという汚れからきよめられる願いをもって期待し、大胆に来て、さらに礼拝したことを意味しています。
期待できないほど情けなかったり弱められたり失敗してしまったとしても、それでもなしてくださるのを恵みといい、私たちの神さまは恵みの神さまです。
イエス様は、裁きではなく救いのため、責めではなく赦しのために来られました。
また、十字架は赦しと恵みのためですから、ぜひ期待して主のもとに来てください。
イエス様はツァラアトの患部に手を伸ばし「きよくなれ。」と言われ、きよめられました。
マルコの福音書では「深くあわれんで(内蔵が引き裂かれるほどの思いで)」とあります。
触れてはいけないにもかかわらず、放っておけず、思わずわざわざ手を伸ばされました。
つまり、「どんなに罪深くても、失敗しても、ツァラアトのままであなたは価値があって、愛される存在である。しかし、あなたが望むとおり、きよくなれ。」と言って治されました。
今、弱さのある人は、そのままで愛されており、願ったとおり赦されて治されます。
確かに、治してもらえるなどの資格は私たちにはありませんが、十字架の恵みがあるので、ふさわしくなく思っても大胆に期待して、願いを神さまの前に持ってきましょう。
日本人は「良くならなければならない。」と思い込んでいる方が多いですが、できません。
しかしそのままで神さまのところに行くと、神さまがよくしてくださる恵みがあります。
次は、ローマ人である百人隊長と、そのしもべ(中風で死にかけていた人)です。
百人隊長がイエス様のところに来て、しもべを治してほしいと懇願しました。
イエス様が「行ってあげよう。」と言われ、百人隊長は「屋根の下にいれる資格などはありません。でも、たった一言おっしゃってくだされば、しもべは治ります。」と言いました。
当時のローマの軍隊は権威と秩序がしっかりしていて、最強でした。
イエス様に権威があり、病気も悪霊も自然も言われたとおりになると知っていたのです。
「信じたとおりになれ。」と言われたときにしもべはいやされました。
神が作られた世界ですので、法則があり、科学と聖書はぶつかりません。
イエス様が一言おっしゃれば、そのとおりになることを信じていてください。
キリストのことばには権威がありますから、そのことばを受けてください。
その瞬間に成就する場合と、訓練として時間をかけて試される場合とがあります。
ツァラアトの人はキリストに期待しましたし、百人隊長はキリストの権威を信じてことばを求めました。
み体にとどまっているなら、イエス様に権威があり、神の時がきたら成就します。
期待してことばを求め、受けたことばを忘れたなら思い出してください。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年6月26日 主日第2礼拝メッセージ