『祈って求める、アガペーの愛』            

聖書箇所 ヨハネの福音書114節、13章1・34-35節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

キリスト教の核心である愛は、聖書が語るアガペーの愛(神の愛)のことです。

私たちの力では、アガペーの愛で愛することはできません。

ただ、聖霊様が共にいてくださる、その恵みによってアガペーの愛で愛することができます。

 

共に生きる

ヨハネの福音書1:14で、イエス様が人間のところに来て一緒に来て住んでくださっています。

愛することは一緒にいることですが、それは簡単ではなく、いいことばかりではありません。

嫌な面や見たくない面が見えたりしますが、それでも一緒にいることが重要です。

愛することができない自分に直面したとき、神さまに祈り求める時に神の愛で共存できます。

 

自分を愛し、人々を愛する

ヨハネの福音書13:1では、イエス様が愛の極みを示されています。

イエス様は、裏切ることがわかっていたユダも含め、弟子たち一人の一人の足を洗いました。

当時、歩いて旅をしていました(時々、馬やロバに乗ることもあります)ので足がとても汚れますが、宿に着いて、その汚れきった足を洗うのは宿の人の一番下で、下賤な仕事でした。

イエス様は神であり師ですが、弟子たちの汚れきった汚い足を綺麗に洗われました。

普通は逆ですが、イエス様は「これが愛することだ。」と言われます。

 お互いの最も弱い、醜い、汚い部分、そういうところを受け取っていきましょう。

「相手が受け取ってくれたら。」ではなく、あなたの方からそれをするのが愛することです。

我々、肉には本当にできないことを認め、神さまに願うときに、愛する力が与えられます。

「自分を愛するように、他の人を愛しなさい。」とありますので、人の汚いところを受け入れ、自分の汚いところや弱さ、欠け、醜い部分も受け入れましょう。

感謝して正しく受け取ると、神様の力によって自分も、他の人も愛することができます。

 

命を据えて愛する

キリストは全くご自分を捨て、私たちの身代わりになってくださいました。

お互いに愛しあうことの究極は、ここにあります。

自分を捨てるとは、そこに命を据えることで、「そこに命を据えて共に生活をする」ことです。

死ぬまで自分を捨てて、そこに命をおくということです。

私たちの力ではできませんが、イエス様が共にいてくださり、イエス様に求めるとできます。

それを、一人ひとりが、この教会が求めるときに、愛が溢れていきます。

賜物が顕著に現れるポイントは、Tコリ14:1のとおり、御霊の賜物を熱心に求めることと、その前にまず愛を追い求めることとがあります。

ともにいて愛する力と、自分を愛し、他の人の弱さや欠けを覆い愛する力と、喜んで自分の人生をそのために捧げる心を求める時に、御霊の賜物が爆発します。

愛とともに、御霊の賜物を求めるように語られているので、いやしや奇蹟が起こります。

その大いなる御業を、ともに見ていきたいと思います。

                                  (文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

20167 3日  主日第二礼拝メッセージより