2026年4月26日 主日第2礼拝 説教
マタイの福音書 22章1〜14節
by イザヤ木原真 牧師
- 本日の聖書箇所はマタイの福音書22章1節~14節の宴会の招きを断った人々のたとえの箇所からです。
- 特に14節、招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。
- この御言葉を中心に見ていきたいと思います。 まず始めにこの招きの一番大切な事は、救いを意味しています。 神様は全ての人に救いの招きをしますが、その招きに答えて神様を選んで来る者は少ないという意味です。 この御言葉で一番誤解されやすいのは、何か神様の試験のようなものがあり、選ばれる者は合格点に達した少しの者だけなのではないかとゆう誤解です。 つまり神様が選ぶ者は少ないのでは?という誤解です。 全くそうではありません。 神様の招きを受けた私達人間の側の選びの問題です。 その事を踏まえてこの話を見ていきたいと思います。
- 1節からイエスキリストは天の御国の招きを結婚の披露宴を設けた王にたとえて語られました。 3節では、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかったとあります。 来たがらなかったのです。 それでも王は諦めず、もう一度しもべたちを遣わして言われました。
- 4節、さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。
- 王は最高の準備をしていましたが、人々は気にもかけず、あるものは畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまいました。(5節-6節) 神様の招きを気にもかけず、仕事や自分のやりたい事に行ってしまい、来なかったのです。 中には王のしもべを殺した者までいました。 これは預言者を指していますが、最後はイエスキリストまでも殺してしまいました。 私たちクリスチャンは神様の招きに答え救われたのですが、信じ救われたあとも色々な事で神様の招きがあります。 それを選んでいく、答えていく事はとても大切です。 8節では、招待しておいた人たちは、ふさわしくなかったと言われました。 神様からの招きを断る時、ふさわしくない者となってしまうのです。 逆にその招きにただ答える時、ふさわしい者とされるのです。 何かが出来るとか、出来ないとかではないのです。 この後、王はしもべたちを大通りに遣わして、出会った人を良い人でも悪い人でも皆招きました。 神様はどのような人でも愛し招いておられるのです。
- 11節、ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
- 宴会場は客でいっぱいになりましたが、礼服を着ていない者がいたのです。 このあと礼服を着ていない者は王に退けられ、外に追い出されてしまいました。 礼服を持っていない人もいるのではないでしょうか? 当時のイスラエルの慣習では、宴会に招いた側が礼服を用意していたのです。 つまり行けば礼服は用意されているのです。 着替えれば良いのです。 追い出されてしまった者は、あえて着替えなかったのです。 自分はこれが良いと、用意された礼服を着なかったのです。 この本質的な意味は、イエスキリストの十字架を信じる者に与えられる神の義です。 神の義、キリストを着ることです。 自分の主張、やり方をもっていて礼服を着なかった者は退けられてしまいました。 神様から招かれた時、その招きに応答して、自分の考えや主張ではなく、神様に言われた通りに招きに答えていきましょう。 その時、主の救い、祝福に豊かに預かることが出来るのです。
- 文責 岡田宏介伝道師