2026年6月7日 主日第2礼拝 説教
【ゼロだから従えるとき始まる神の働き】 ルカの福音書5章1〜11節
by イザヤ木原真 牧師
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○背景
ガリラヤ湖の岸に立って群衆に話しておられたイエスさまは、岸辺に2隻あった小舟のうちペテロの舟に乗り、陸から少し離れたところから群衆を教えられた。
群衆に話し終えられると、シモン(ペテロ)に、
「深み漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさいと」言われた。ルカの福音書5章4節
漁師たちは舟から降りてすでに網を洗い終えていた。
プロの漁師が、取れる筈の時間帯に取れる筈の場所で夜通し真剣に働いて、これ以上やっても取れないと思ったから帰ってきていたにもかかわらず、
○もう1度深みにこぎ出して
もう1度本気になって漁に行って、真剣に漁をしなさいとイエスさまは言われた。しかも、彼らの経験上全く取れるはずもない時間帯であった。
シモンは、
「先生、私たちは夜通し働きましたが、
何ひとつとれませんでした。」(5:5)と言った。
○何ひとつ
これが大事なところ。
少しでも取れていたら、「もうこれで充分です」と言って帰ってしまったかもしれない。
しかし何にも取れない。Nothing!
だから
「おことばどおり、網をおろしてみましょう」とイエス様のことばに従ってやってみた。
信仰があったかというと、
少しは取れるかもしれない。もしかしたら取れるかもしれないという信仰はあったかもしれないが、大漁になるとは思っていなかったはず。それでも言われたとおり行った。
言われた通りにすると、たくさんの魚が入って網が破れそうになったので、仲間の
舟を呼んで2そうとも沈みそうになるほどだった。
○神のわざに触れて神への恐れが生じた
プロの漁師であるペテロにとって、取れる筈のない時間帯に出て行き、ありえない大漁のわざが起こったのだ。
自分の熟知した得意分野で 、自分は1匹も取れなかったのに大漁になって驚き、
彼は
イエスの足元にひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。ルカの福音書5章8〜9節
神がなさるのはこのような働きである。
人の働きではないので、人は高ぶりようがなく、むしろ神を恐れる。
リバイバルは神の働き、神のわざである。
第二歴代史20章のヨシャパテの軍の勝利も、使徒の働き16章で起きた神のわざも同様に、神の働きである。
○自分の弱さに絶望し神を恐れた時生涯の召しの働きが与えられた。
ペンテコステの日の直前にあったのは、弟子たちの絶望だった。
弟子たちはペンテコステの直前、自分たちの力のなさに対峙させられ、絶望していた。心から イエス様を愛していたのにペテロは呪いまでかけて誓ってしまった。
どうしようもない自分に出会った。
しかしイエス様は、その彼らに世界宣教を託し、あなた方を通して福音を宣べさせると約束された。嬉しいけれど、彼も他の弟子たちも自分たちの弱さに絶望していた。
だから彼らは祈った。
ペテロはゼロだった。
恐れるペテロに、
「こわがらなくてもよい。
これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」ルカの福音書5章11節
と言われた。
神のわざに触れると恐れが来る。
圧倒的な神のワザに触れると、私たちは自分の罪深さに気づく。自分の力のなさ、
自分はどうしようもない者である事がわかる。
ペテロのうちに神への恐れが生じ、
自分には何の力もないことに気づいたとき、ペテロの生涯の使命が与えられた。
弱さを知り、自分はふさわしくないと思う時に神の召しが来る。
ザンビアの孤児院の現地責任者は、自分には力がない、愛がないと、自分に絶望した。しかし神に出会い、キリストを信じ救われた。ここに愛があるから、それを流せば良いとわたかった。その愛に触れた時召しの働きに導かれた。
自分の弱さや罪に出会う時、落ち込むのではなく、神様のところに出ていただきたい。その時神から、あなたに対する愛が来る。生涯の召しが来る。それを聞いて欲しい。
それはあなたの人生を導く。 - 文責 Joy木村