2025年11月9日 主日第2礼拝 説教
【いつも主にあって喜びなさい】 ピリピ人への手紙 4:4
by イザヤ木原真 牧師
- 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(4節)とあります。いつも喜ぶことは難しいのです。でも鍵は何かというと、「主にあって」なのです。イエス・キリストは、私たちを、本当に愛して、私たちの身代わりになって、十字架にかかって死んでくださった方です。しかも三日目に復活して、死に、サタンに、罪に、勝利を取られたのです。そして、復活されて、私たちの信じる者の内に住んでくださり、絶対私たちを見捨てて離れない方なのです。その方と一緒に「喜びなさい」ということなのです。
- みことばからいくと、ローマ書8章28節に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とあります。「神を愛する人々」とは、神が召してくださった人です。その人は、すべてのことを働かせてくださり益となるのです。益とは、原語でいうと、最善です。 鍵は、「神を愛する人々」なのです。Ⅰヨハネの手紙に「神を愛するとは、神の命令を守ることです。」(5:3)とあります。愛するというのは、具体的に、主に、イエスさまに従うことなのです。簡単な方法は、いつも言われている「感謝する」ことです。そして、今年は、「喜びなさい」なのです。ところが、感情は喜べないことが、いくらでもあるのです。感情は否定する必要はありません。それを認めた上で、聖書のみことばが言っているから、感謝をして、喜ぶのです。そのときに、「みことばに立つ」、「信仰に立つ」というのです。これは感情でなく、「意思によって」なのです。それとともに、これは、「選び」なのです。神さまは愛の方です。本当に愛する人は、相手に選ばせるのです。天には、イエスさまを信じれば行けるのです。救われるのです。天に行ける道は、イエス・キリストの十字架以外はないのです。神さまを信じるかどうかも選ばせてくださるのです。そして、神さまを選ぶと、神さまの力が、聖霊の助けがきて、感情も変えられていくのです。今年このみことばが与えられたということは、喜べないことが、起こるのだと思います。みことばに立って、主がおっしゃるから、一緒に喜ぶことを選んでいきましょう。
- もう一つは、今年、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」(ヨハネ11:40)と、約束されたのです。神の栄光は、このときは、ラザロが復活したことなのです。四日経って腐っているようなものが、生き返るなど、ありえないことが起こったのです。その結果、多くのユダヤ人たちが信じたのです。そのときの鍵は「信じる」ならです。「信じる」とは具体的に言ったら、「従う」ことなのです。私たちがどんなに頑張っても、ラザロなんて復活しません。でもイエス・キリストはなさいました。私たちが今年見たいのは、人の頑張りのわざではなく、神のわざなのです。ぜひ「喜ぶ」ことを選んでほしいと思います。
- 次は告白するのです。あえて声に出して叫ぶ、あえて神のことばを声にするのです。この告白することが大事なのです。神の与えたことばを言うときに、奇跡が起こるのです。もう一つは、大きな試練や、困難というのは、人間的には大変ですが、逆に、感謝、賛美しやすいのです。大病だと本気になるからです。しかし、すごいことが起こらなくても、私たちは、結構生活の中の小さなことで、しばしば起こるのです。喜びをサタンは奪いに来るのです。日毎の生活で、つぶやきと文句を溜めさせておいて、私たちの祝福を奪おうとするのです。しかし、その「喜び」があるときに、祝福されるということをぜひ覚えてほしいと思います。
- 26聖人は、本当に、死を前にして喜んでいたのです。何で彼らは喜んでいたのか。二つあります。一つは、天国が彼らは現実だったのです。もう二度と死ぬことがない、朽ちない体をもらって、永遠に神とともに住む、これは確信ではなくて、現実なのです。もう一つは、本当に永遠を土台に置くと、この地上を価値あることのために生きれるのです。彼らは、主がともにいることの喜びを知っていたのです。どんなに地上で祝福に見えても、キリストがいなかったら滅びです。でもキリストがいれば、この方はすべてを持っておられるので、必ず祝福に変わるのです。 26聖人は天国が現実だったのです。また神がともにいることを知っていたのです。お互い主がともにいます。ですから、喜びましょう。それを土台に置いていただきたいと思います。
- (文責 オリーブ工藤)