2025年12月28日 主日第2礼拝 説教
「キリストイエスにあって」 テサロニケ人への手紙 第一 5:17,18
by イザヤ木原真 牧師
- いつも喜び、絶えず祈り、全てのことについて感謝することは、人間の努力だけでは不可能です。鍵は「キリストイエスにあって」という言葉にあります。
- このみ言葉を実践するために、基本から確認しましょう。イエス様は、悔い改めた人のうちに住んでくださいます。悔い改めは、自己中心の生き方から方向転換するという意味があります。すでに十字架によって赦されている祝福を受け取るという行為でもあります。したがって悔い改めとは、明るく希望と喜びに満ちたものです。例えるなら、太陽に背を向けて歩くならば、伸びてゆく影の中を歩くことになりますが、方向転換して太陽に向かって歩くならば、陽の光の中を歩き、影は小さくなってゆくというものです。悔い改めによって、神の愛の光の中を歩くことになります。歩くほどに聖められ、癒され、整えられてゆきます。 十字架にかかるほど私たちを愛して復活し、今も生きておられるイエス様によって、この恵みが与えられています。この主イエス様が、私たちのうちに住んでくださるのです。それが故に、いつも喜び、絶えず祈り、すべてを感謝するのです。
- いつも喜ぶとは、苦しい感情を押し殺せということではありません。悲しい時は悲しいのです。辛い時は辛く、ギリギリの時もあります。そのありのままの思いを、精一杯、主に注ぎ出すことです。人間関係には受け止められるに許容量があります。しかしイエスさまは全て受けとめてくださいます。主に受け止められた時、感情的に悲しみのどん底でも、喜ぶことを選ぶことができます。
- すべてを感謝することについても同様です。嫌なことがあっても、最善以外なさらない神さまは私たちの人知を超えているのですから、その愛に信頼し、感謝するのです。私たちの教会には山ほど証があります。秋元牧師の三男の方の難病が感謝を通して癒されたことは有名な話です。私の妻である純子牧師も、手術で喉元20cm切ることになり、声が出なかった時期もありましたが、感謝して受け取りました。今となっては、声が出るようになり、今の純子牧師にピッタリな幸齢者ゴスペルクラブが今年から始まりました。
- そして絶えず祈ることです。方法の一つに異言があります。聖霊のバプテスマによって聖霊に満たされると、異言が与えられます。これは自分の意思によって異言を祈り始めることも止めることもできると聖書にあります。テレビやYouTubeを見ながらでも、いつでも祈ることができます。祈りの第一歩は、大胆に求めることです。本当のところの本心を求めず、遠慮がちに求めるから、神様のとてもつもなく大きな計り知れない愛を知ることができないのです。大胆に求めていく時、神様から応答があります。これが主とのコミュニケーション、交わりです。
- 悔い改めて主と交わり、感謝と喜びを選ぶとき、すべては祝福に変わってゆきます。神さまは何があなたの励ましや助けになるかをよくご存知です。理解できないネガティブな思いあれば押し殺すのではなく、心を注ぎ出して主に吐き出しましょう。イエス様は受け止めてくださいます。そして最後は、支えてくださる主を信頼して感謝を選び、これも祝福に変えてくださると信仰を告白してゆきましょう。忍耐が必要な時もあります。しかし忍耐を通らされるときは祝福は大きいのです。主は必ず働いてくださっています。
- (文責 木原イザヤ)