2026年10月11日 日曜礼拝 説教
『いつも喜ぶ秘訣』
テサロニケ人への手紙第一5章 16 - 18節
by イザヤ木原真 牧師
- 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(16〜18節)とあります。この三つの事を、「これが、キリスト•イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(18節)と言われているのです。まず一つ目、「いつも喜んでいなさい。」ですが、いつも喜んでいることは、できないと思います。しかし、これは命令で、お勧めでも、お願いでもないのです。神さまはできないことを命令しておられるのでしょうか。とんでもありません。できるのです。そのための鍵があるのです。「キリスト•イエスにあって」と書かれているのです。私たちは、いつも喜ぶことはできませんが、ここに立ったときできるのです。どういうことかと言いますと、二つあります。具体的には、ともにキリストがいるから、喜びなさいということなのです。イエス•キリストという方は、あなたを愛して、私たちひとりひとりを本当に愛しておられるのです。父なる神さまは、イエス•キリストをこの地に遣わして、そして十字架につけて、よみに下しました。神さまはあなたひとりを特別と思っているのです。みんな愛されていて、その中のひとりではないです。イエスさまは、十字架で、すべての罰と呪いとさばきと、血を流しながら、肉体、心、霊、すべてにおいて、苦しみを引き受けて、神から捨てられて、私たちの代わりによみに行かれました。ですから、私たちはもう地獄へ行かなくて良いのです。信じ、悔い改めたからです。しかもそれで終わってないのです。そのあと、死、よみ、サタンの力に打ち勝って復活されたのです。生きておられ、私たちの心に住んでおられるのです。ですから、まだ信じていない人は、このイエス•キリストを信じて、心に迎えてほしいのです。この方が一緒にいるから喜びなさい。すべてのことを感謝しなさいなのです。この方が一緒にいれば、単に大丈夫なだけでなく、そのことが逆転するのです。もうこんなことが何で起こったと思うことが、祝福に変わるのです。これが神さまの凄さなのです。
- 「主にあって」という、もう一つは、「イエスさまに目を向けて」ということです。人は病気になったり、問題があると、それを一生懸命見るわけです。そうすると、喜んだり、感謝なんかできないのです。そこで、その問題や病気からちょっと目を上げて、イエスさまを見て行くと、喜びと感謝が戻ってきて、できるようになるのです。ヘブル12章2節には、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」とあります。色んな意味がありますが、英語訳からみると、イエスさまに目をくくり付けるという意味です。問題から目を離して、イエスさまに目をくくり付けると、喜びと感謝が湧いてくるのです。生活の只中で、いろんなことの中で、感謝すること、喜ぶことをしてください。それをしていくと、主の約束なので、主のことばに従う人は、必ず主の祝福を受けるのです。ローマ8章28節には、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とあります。どんなことがあってもあらゆることを働かせて、益とは最善ですが、最善、祝福に変えてくださるという約束なのです。ですから、頑張って感謝しよう、喜ぼうではないのです。「キリスト•イエスにあって」なのです。
- 間の「絶えず祈りなさい。」は、一番簡単なことは、絶えず祈る方法が一つあるのです。「聖霊のバプテスマ」です。本当に聖霊の満たしを受けて、「聖霊のバプテスマ」を受けると、ペンテコステのときの弟子たちのように、異言で語れるようになるのです。異言というのは、「聖霊のバプテスマ」を受けると、聖霊さまが与えてくださることばです。異言があると、いつでも絶えず祈ることができるのです。これが一つです。それと祈れなくなるときがあります。そのときそれでも主の前に出るということは良いのですが、もう一つは、異言で静かに祈っていると、30分異言で祈ると力が湧いてくるのです。ですから、いつも異言で絶えず祈り、すべての事を感謝するのです。
- 今年の年頭の御ことばは、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)だったのです。今年与えられたということは、つまり喜べないことが、今年は来ますということです。でも喜べないことが来たときは、チャンスなのです。そこで主に目を向けて、主にあって、本当に喜ぶとき、神のわざを見るのです。今まであなたが知っていた神さまの愛よりも、もっと大きな愛を、もっと不可能のない神の力を知るのです。ぜひ感謝と喜びをもって主に対応してほしいと思います。
- 文責 オリーブ工藤