殉教は遠くの世界のことか 「殉教」は、いまのような平和な日本においては現実味のうすい話です。まして殉教ということを真剣に受けとめて祈っている教会があるなら、多くの人に奇妙な印象を与えることでしょう。ところが、私の導かれた教会は、その殉教を真剣に受けとめて祈っている教会でした。 私自身、この群の中に導かれて殉教という言葉を初めて聞いたとき、とても遠いことのように思われ、とまどいました。けれども、聖書をひもといて御言葉を調べ、日本の教会の歴史を見ていくと、殉教は決して極端なことでも遠くの世界のことでもないと、気づき始めたのです。 また、私たちが自分たちの国や自分たちの教会という枠をはずして、世界に私たちの目を向け、海外宣教に出て行くならば、殉教に対する意識は大きく変わっていくでしょう。 いまは、宣教史上でもっとも多くの殉教者が出ていると言われている時代です。宣教史においては、殉教は決して極端でもおかしなことでもなく、むしろ迫害と殉教の中でこそ、キリストの福音は宣べ伝えられ、広がり続けてきたといっても過言ではないのです。 使徒1章8節の約束 イエス・キリストの福音がどのようにして世界に広がっていくかについては、イエスご自身があらかじめ語っておられます。 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります」(使徒1章8節) これは、イエス・キリストが、昇天される直前に弟子たちに向かって語られた有名な御言葉です。 主が語られたこの約束の一部は、ペンテコステの日にエルサレムにおいて成就しました。 その日,エルサレムで祈っていた弟子たちに聖霊が臨みました。激しい風のような響きが家を包み、弟子たちは他国の言葉で話し出しました。その様子に驚いた大勢の人々が集まってきます。そこでペテロは11人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりと福音を語ったのです。その日3000人ほどが弟子に加えられました。 ですから、使徒1章8節の前半、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」という部分がこの日、成就します。 しかしこの時点では、まだエルサレムにおいてしかイエス・キリストの福音は語られていませんでした。「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、地の果てにまで」福音が伝えられると語られた後半の約束は,最初のエルサレムにおいて成就しただけです。 では、どのようにして福音は、エルサレムにとどまらず,ユダヤとサマリヤの全土,地の果てにまで伝えられていったのでしょう。そのために神はどのような方法を用いられたのでしょうか。 それは、殉教という方法を通してだったのです。
ステパノの殉教によって 殉教というこの恵み、この特別な恵みにいちばん最初に選ばれたのが、ステパノです。 ステパノは聖霊と恵みに満ちた人でした。食卓に仕える誠実で忠実な神のしもべでした。彼の日常は「神、ともにいます」喜びに満ちたものでした。 ステパノは恵みと力に満ちており、人々の間ですばらしい不思議なわざとしるしを行っていました。しかし、まっすぐに御言葉を宣べ伝えたせいで、やがて捕らえられ(使徒6章)、町の外に追い出され、石で打ち殺されて殉教します(使徒7章)。 ステパノが殉教した日、エルサレムのクリスチャンに対する激しい迫害が起こりました。使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされてしまいます。 ところが、この散らされた人たちが、御言葉を宣べながら、ユダヤとサマリヤの諸地方をめぐり歩いたのです(使徒8章1、4節)。こうして1章8節の後半は「ユダヤとサマリヤの全土」という部分まで成就しました。 さらに使徒の9章では、あの有名なパウロの回心が起こります。 パウロは主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えていました。ところが、道を進んでいる途中、ダマスコの近くで突然主の光に照らされ、主の声を聞き、主に出会うのです。 やがて彼は回心し、サウロからパウロとなり、異邦人の器として地の果てにまで福音を伝える者となっていきます。パウロを通して使徒1章8節の約束は「地の果てにまで」という最後の部分まで成就するのです。 しかし、このパウロの働きも、ステパノの殉教が一つの土台となっていることを忘れてはなりません。パウロはステパノを殺すことに賛成し、現場で着物の番をしていました。パウロの心に、ステパノの殉教の姿は強烈に残っていたことでしょう。 ステパノが最後にひざまずいて、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ祈りは、死に至るまでパウロの心にこだまし、いつも彼に神の恵みを思い起こさせ、与えられた使命に自らを駆り立てる原動力になったはずです。 神の選び このように、主が約束されていたことは、ステパノの殉教を通してことごとく成就していったのです。ステパノの殉教とエルサレム教会に対する激しい迫害は、福音宣教を後退させるどころか、逆に大きく前進させ、地の果てにまで福音が伝えられていく大きなきっかけとなりました。 これが主の働きです。人間の計画とはちがう、主ご自身の計画です。 ステパノは、聖書を見るかぎり、教会時代、すなわち聖霊時代の最初の殉教者と思われます。ステパノは、初めての殉教者、すなわち一粒の麦として選ばれたのです。そこには特別な「選び」があります。 「あなたがたが私を選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び任命したのです。それはあなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためです」(ヨハネ15章16節) そう語られたお方の特別な選びです。 私たちはステパノに会ったことはありませんが、ステパノの内に与えられた命は彼の祈りと殉教を通してパウロの内に実を結び、そしていま、地の果てにいる私たちの心にまでも届いて実を結んだことを知っています。福音は、このようにして私たちの心に届き、そして私たちは救われたのです。 実はこれと同じようなことが、私たちの国、日本でもすでに起こっています。
26聖人の殉教 約400年前ポルトガルやイスパニヤ(現スペイン)から、カトリックの宣教師たちが命がけで日本を目指しました。彼らによって初めて日本に福音が伝えられたのです。 宣教が許可されたしばらくの期間の後、キリスト教は禁止され、1597年に日本で最初の殉教が起こります。そのとき殉教したのが、「日本最初の殉教者」と言われている日本26聖人です。 彼らもまた、神によって選ばれた人たちでした。彼らの殉教に関しては、来月から詳しく書いていきます。ここでは簡単に述べましょう。 時の権力者太閤秀吉は、キリスト教を迫害し、京都、大坂で24人を捕らえ(後に26人となる)、長崎の西坂の丘で殺すように命じたのです。秀吉は長崎に多くのキリシタンたちがいることを知っていたので、彼らへの見せしめのために、26人を長崎まで連れて行き、十字架にかけさせたのです。 ところが秀吉の思惑とは逆に、26聖人の殉教者の後に長崎にリバイバルが起こりました。 西坂の丘に集まった多くの見物人たちは、26聖人たちが喜びに満ちて天に帰っていく姿に感動しました。クリスチャンはもとより、どっちつかずで信仰がはっきりしていなかった人々や、信仰をそのときまでは持っていなかった人までもが回心し、「私もクリスチャンです。どうぞ殺してください」と代官所に押しかけて行きました。 この後、26万人が殉教したと言われています。 また明治になってからでさえ、キリスト教はしばらくの間禁止されていました。そのときも、長崎にある浦上カトリックのキリシタンたちの殉教と迫害の後に、福音宣教は自由になりました。彼らが示した主に対する信仰の証しにはとても励まされます。このことに関しても後に書くことにしましょう。 さらに明治以降であっても、戦争中には敵国宗教としてクリスチャンは迫害を受けました。 このように、実は日本も、殉教者の多さや殉教の仕方という点では、世界有数の殉教国と言えるのです。 喜びながらの勝利の凱旋 ステパノの殉教においても、日本26聖人の殉教においても、共通して言えることがあります。 彼らの目は主ご自身に、そして永遠に朽ちることのない報いが待っている天に向けられていました。そして、「喜び」ながら「赦し」ながら、使命を全うしていったのです。主を愛する心、賛美する心に包まれて…。 「事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです」
(ヘブル11章16節) 殉教、それは主を愛して喜んで十字架を負って従っていった者たちの勝利の凱旋です。そこには私たちが殉教という言葉を聞くとき持つような悲惨さや暗さはありません。なぜなら、彼らは「主とともにいた」からです。殉教者たちは主がともにいることを知っていました。 主イエス・キリストを信じたとき、私たちは古い自分に死にました。そのとき、主の十字架の血潮の力によって、私たちの罪は完全に赦され、私たちは救われて、信仰によって義とされたのです。私たちは救われて信仰によって義とされたのです。私たちは罪に対して死に、この世に対してもすでに死んでいます。私たちはキリストともに十字架につけられたからです。 殉教者たちは、この真理の中に生き、地上での生涯を、旅人として寄留者として全うしました。彼らの死は敗北ではなく勝利でした。 まさに御言葉にあるように、一粒の麦となって彼らが地に落ちて死んだとき、豊かな実が結ばれていったのです。そしてその死はこれからももっと多くの実を結んでいくことでしょう。彼らはリバイバルの種となり、圧倒的な勝利者となったのです。
「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでいたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(ヘブル11章13節)
|