日本二十六聖人を通して神が教えて下さったこと

1. 喜びにあふれていたこと
2. 天国の確信と報い
3. 十字架上で賛美すること
4. 家族の中で育まれた信仰
5. 赦しの力
6. 悔い改めを大切にする心
7. 福音を語り続けること
8. 人々の魂に対する情熱
9. 神にゆだねること
10. 選択の時、神を選び切る力
11. 強いられた十字架の祝福
12. ひとつになれる素晴らしさ
         
5. 赦しの力

 

赦しながら〜パウロ三木

1597年2月5日、西坂の丘に26本の十字架が立てられました。
26人の殉教者たちとともに。

その西坂の丘で、
12歳のルドビゴ茨木と13歳のアントニオが、
「主の子どもたちよ。主をほめたたえまつれ。」
と、高らかに銀の鈴のような声で、主を賛美します。
その声に合わせて、四千人とも言われている見物人たちが一緒に賛美を始めました。

その時、西坂に天が降りてきたと言われています。

西坂に、天の賛美の声が響き渡ります。
それまで極悪犯罪人の死刑執行の場所だった西坂に、
天の臨在が注がれ天国が降りてきたのです。

その天の臨在に包まれた賛美の中で、
十字架から身を乗り出し、人々に向かって大きな声で語りだす者がいました。
イエズス会修道士 (イルマン)のパウロ三木でした。
彼は京都で捕らえられてから西坂の丘に着くまで、人々に福音を語り続けて歩いてきました。
そして最後の説教が、この十字架の上からでした。

彼の罪状書きには、こう書いてありました。
「この者共は、フィリピン、ルソンの使節と称して日本に来たり!」
それを見てパウロ三木は、人々に向かって叫び語りだしました。

「みなさん、私はれっきとした日本人です。
 イエズス会の修道士で、罪を犯したわけではございません。
 ただイエス・キリストの福音を宣べ伝え、その教えを広めたために殺されるのです。
 しかし私は、そのことを喜んでいます。
 この殉教の恵みを心から神様に感謝しています。
 人が死に臨んで、どうして偽りを申しましょう。
 私は今、真実のみを申しあげています。
 どうか私の申し上げることを信じてください。
 この方、イエス・キリスト以外には救いの道はありません。
 そのことを確信を持って申し上げます。」

パウロ三木の語る言葉には力強さと激しさがありました。
人々は彼の語る言葉に引き寄せられていきました。

さらにパウロ三木は旧友であり、処刑執行の責任者でもある寺沢半三郎の方を見て、言いました。

「 半三郎、私はあなたのことを赦しています。何も恨んではいません。
 今まさに私を処刑しようと槍を持っているこの執行人も赦します。あなた方のことを何も恨んではいません。
 そして私に処刑を宣告された太閤秀吉様を、私は赦します。恨んではおりませぬ。
 それはイエス・キリストが私の罪の身代わりになって十字架にかかり、私を赦してくださったからです。

 

イエス・キリストは「なたの敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われました。
 ですから、私はこの死罪、殉教について太閤様をはじめ、お役人衆たちになんの恨みも抱いてはおりません。
 ただ私が切に願うのは、太閤様をはじめ、半三郎やお役人様、そして日本のすべての人が
 キリストを信じて救いを受け、キリシタンになってくださることです。」

パウロ三木は死を前にして、
目の前にいるまだキリストを知らない人たちの救いを、心から願っていました。
彼の思いは自分の命のことではなく、
自分を殺そうとしている人たちが救われることにあったのです。